書籍情報
書籍名:日本文化の形成
著者:宮本常一
出版社:講談社
レーベル:講談社学術文庫
発売日:2011年10月5日
購入日:ー
読了日:2011年10月23日
目次
一 日本列島に住んだ人びと
一 エビスたちの列島
二 稲作を伝えた人びと
二 日本文化に見る海洋的性格
一 倭人の源流
二 耽羅・倭・百済の関係
三 北方の文化
四 琉球列島の文化
三 日本における畑作の起源と発展
一 焼畑
二 古代中国の農耕
三 渡来人と農耕
付 海洋民と床住居
宮本常一譜
感想・備忘
民俗学の巨人・宮本常一の遺稿。
不真面目な学生だったもので学生中に宮本先生の著を読んでいなかったのですが、後悔した…やはり巨匠。柳田國男と並んで、ジャンル・時代を問わずに「読んでおいたほうがいい」と各方面から言われていたのですが、まさにその通りだったなと思います。
個人的興味のあるページ部分を折っていったら、付の「海洋民と床住居」ばっかりになりました。
多分もう一回読み直すこと決定っぽいのですが、その中から2点メモ。
エビス神なども漂着の伝説を持っているのが多い。漂着したとき寒い日であったので火をたいてエビス様にあたらせた。そうしたらそこに生えていた蘆の片方の葉が焼けて、その後も片方は葉が茂らなくなり片葉の蘆になったという話が、堺市の石津太神社には残っている。エビス神は漁民の祀った神であったが、商家でもこれを祀った。
(p176)
居多神社の「片葉の芦」を連想した。
こちらは親鸞聖人が配流時にお祈りしたところ、一夜にして片葉となった、ということですが、もとの話はこっちのような気がします。神社の祭神「大国主」はエビス様に習合されている、というのを見て個人的には断定系。最初は堺市というので、榊原氏の関係かなぁと思ったのですが、石津太神社の「この地は元は浜辺であり、伝承では、伊奘諾命・伊奘册命によって流された蛭子命がこの地に漂着し、携えてきた五色の神石を置いたという。蛭子命が漂着した場所を「石津の磐山」、「五色の石」を置いた場所を「石津」という。鳥居の前の交差点に「五色の石」を地下に埋めたとされる場所があり、その場所を示す地上部分に石が置かれている。」(Wiki)をみた感じ、居多神社の立地条件とも似てるなぁと思ったので気になる。気になる…居多神社の絵図をちゃんと見たい…!この好奇心の駆り立て様…これが巨匠パワーか…!!
稲束を積みあげたものをニウ、ニオなどとよぶところが多いが、ニウは壬生と書き産屋のことであった。すなわち、稲の産屋を意味するところであった。
(p183)
ガッポニオの「ニオ」も元々はここからきているのでしょうか。
印象に残ったところ
コメント