日本史(その他・文化、通史系)書庫

【読書記録】小布施まちづくりの奇跡

過去に対する誇りや自信もなければ、未来への希望もないまちやむらを捨てて、若者たちが近代化・工業化・都市化の先進地である大都市圏に移ってゆくのは、自然のなりゆきだった。
ー 49ページ

書籍情報

書籍名:小布施まちづくりの奇跡
著者:川向正人
出版社:新潮社
レーベル:新潮新書
発売日:2010年03月01日

購入日:ー
読了日:2012年03月20日
レビュー日:2012年03月20日

 

目次

まえがき
第1章 北斎に愛された小さなまち
1.ヨーロッパのような印象深い景観
2.五感で楽しめる凝縮した集落
3.人口の100倍の観光客が訪れるまち
4.生きる工夫を求める気候と土壌
5.いにしえの「古いむら」と江戸初期の「新しいむら」
6.豪農豪商と江戸・京都ネットワーク
7.藩が大切に守った栗林
8.近代化で「ただの田舎」に
9.建築家はまちの営繕係
10.「亭主と女房が癒着してどこが悪い」~町長の覚悟
11.思い出を伝える究極の手法=曳き家
12.景観を整えて北信濃の原野を彷彿とさせる~北斎館と笹の広場
第2章 過去を活かし、過去にしばられない暮らしづくりー修景
1.伝統的町並み保存との根本的な違い
2.そこに住み、働く人たちが主役
3.当事者すべての希望をかなえること
4.歴史を大切に、だが現代生活を犠牲にしない
5.畔道が、昔からあったような「新しい」路地に~栗の小径
6.単なる駐車場ではない空間~幟の広場
7.まちづくりの風をおこした二年以上の忍耐強い議論
8.国道沿いの歩道空間を整え、まちの顔を仕上げる
9.良い意味で「常に工事中」
10.建築と建築、人と人を組みあわせる仕事
11.協力基準としての景観条例
12.自信と誇りの「私の庭にようこそ」運動
13.予期せぬシーンに出あえる迷宮
14.「間」まで設計された個性豊かなまち
15.分けないで多様なものが混在するまちづくり
16.新奇なものへの抵抗と新しい観光
第3章 世代を超えて、どうつなぐか
1.信頼関係の成熟が「内」を「外」に変える
2.世代交代でゆらぐ、まちづくりのイメージ
3.古い商店街が空洞化するメカニズム
4.カギを握るのは「中間領域」の設計
5.七四五本の小道を活かす~里道プロジェクト
6.自然を回復する公共事業に~緑の駐車場
7.「らしさ」を調べてデータ化する
8.土壁~小布施らしさ その一
9.屋根葺き材~小布施らしさ その二
10.子供たちに「町遺産」を伝える
11.伝統の素材と技術を体験して学ぶ~瓦灯づくり
12.次々に発生する課題を「小布施流」で解いてゆく
13.「観光地化」と景観は両立できるのか
14.「まち」と「むら」の原風景を大切にする
あとがき

感想・備忘

2012年の読了時のレビューを転記します。


毎年120万人の観光客が訪れる長野県小布施町。この小さなまちの何に、人々は惹きつけられるのか―。そのヒントは、「修景」というまちづくりの手法にあった。伝統的な街並みに固執しすぎない。とはいえ、まちの歴史をまったく無視した再開発でもない。いまあるもの、そこに暮らす人々の思いを大切にしながら、少しずつ景観を修復して、まちをつくってゆく。奇跡ともいわれる小布施流まちづくりを内側から描き出す。

(本書 表紙袖より)

著者は、東京理科大学の教授(理工学部建築学科)で、小布施まちづくり研究所の所長を務めておられる。
「歴史学」ではなく、建築学が専門であることを理解したうえで本書を読まないと、時々「???」となることが出てくるかもしれない。

個人的には、「景観」という言葉の使い方。
「景観を整えて」という言い回しが頻発するのだが、従来「景観」とは整えるものではないと思っている。これは単純に地理学の流れをくむ私の「景観」と、建築学の筆者の「景観」の定義が異なるだけだと思うのだが、この言葉の定義の曖昧さを改めて痛感する1冊でもあった。

修景は文化財の復元修理とは違う。もっと柔軟に捉えて、歴史文化の香りある生き生きとした風景の創出こそ目指すべきだろう。
ー 148ページ

初めてこの本を読んだ際、「修景」は建築学的に「自然態」であっても、歴史学的には日光江戸村と同じような気がしていた。
それは著者の上記の言葉からも感じられる。

早いもので今から8年ほど前に小布施を訪れたことがあったが、閑散期で全く観光客がいなかったものだから、この本を読むまでそこまで人々が訪れる場所だとは知らなかった。(カブトムシのでっかいオブジェとかがあって、土蔵とかのある町並みにしてはなんだか異様な気はしていたが…)

しかし、地域の人々が実際にその土地を愛し、観光だけに頼らず、土着の生業をいまだに営みながら、1日また1日と、そこに生きる人々の生活と地域が有機的に結びついて、小布施の景観が進化していっていることは肌で感じた。
そう思えば、近代までの小布施の育んできた歴史と、今、日々構築されている小布施は、決して断絶しているものではないし、「修景」は、保存ではなく「創造」と筆者も述べられている通り、数百年後の未来に続く、貴重なまちなのかもしれないと今は感じている。

ところで、今はどうだが分からないが、当時現地を訪れたときに残念だったのが、風土の説明がどこにもなかったこと。
小布施の扇状地をつくりあげた松川は、強酸性のため魚も棲めず、水はけのよすぎる酸性土壌は稲作に適していない。これが「小布施栗」を産み出す背景にあった。また、松川の石や砂は、酸化鉄が付着して赤茶色になっている。町の家屋の多くに使われている黄色みがかった独特の色合いを持つ砂壁は、この松川の砂を混ぜたものである。
説明版はおろか、案内のパンフレットにも載っていなかった。元々観光地化を目指していないのであれば説明版は確かにいらないかもしれないが、それにしても、「体験して歴史を心で感じる世界」と言いつつ、その背景を学べないのはやっぱり寂しい気がする…。上記の知識があるのと無いのとでは大違いだと感じるのは、私が地理学視点で物事を見てしまいがちだから、というわけでは無いと思うのだが…。

とにもかくにも、この先の小布施が楽しみです。

 

印象に残ったところ

地区全体でつくり上げようとする景観に馴染まない個の出現は、今後もつづくであろう。人を惹きつける魅力があるから観光客が集まる。観光地化を目指さず日常生活を大切にして生きていても、魅力があれば、おのずと観光客が集まる。すると、その観光客目当てに商売を考える者が出てくる。町内だけではなく、町外からも商機を求める者が参入してくるであろう。これは現実に小布施で起きている問題だが、長年まちづくりに努めてきた地方自治体が同様に直面するアポリアだともいえる。
ー 212ページ

修景はイベントではなく、具体的に現実の建築や都市空間を改善する行為である。雑然とした景観を、まとまりのあるものへと整える。たとえば町並み修景の場合、まず町並みを構成する古建築のどれかを残す。その場所に残せない場合には、曳き家して移動させて残すのでもよい。単に建築の表層だけを残すのでも復元するのでもない。
 ー 147ページ

まちづくり運動で大切なのは、住民が納得して自発的に取り組み、しかも継続することだ。運動が一代で終わらず、子や孫の代まで継続することが望ましい。特に、まとまりのある風景をつくるという方向性をもった運動の継続には、規制・誘導だけではなく自由がなければならない。だから、「内」は自分たちのものですよ、という。
ー 141ページ

修景事業以来、小布施では「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という合言葉が使われてきた。景観を構成する建築外観を共有財産と捉えて「外」はみんなのものと考えましょう、でも「内」は自分たちのものですよ、と呼びかける。この呼びかけには、景観への配慮をうながしつつ、住み手が自由にできる「内」があることを明確に伝えようという意図がある。
ー 141ページ

心地よさは自然ににじみ出るものであって、法律で強制して生み出し得るものではない。景観づくりに必要なのは、住民が自発的に求め、共有しようと望むガイドラインのようなもの。小布施町でいう「協力基準」は、そのような性格のものだった。
ー 119ページ

建築や景観は、星の数ほど多い要素で成り立ち、そのすべての形態・色彩・素材などを法律で規定することは不可能だから、完全無欠の景観法はもともと存在し得ず、抜け道を探そうと考えれば簡単に見つかる。というよりも、厳しかろうがそもそも法律で縛ることによって、果たして美しく心地よい景観が生れるのかという根本的な問いがある。
119ページ

全面的に再開発、建て替えと進む例が多い昨今、少しずつ改善することによって当初の姿を保ちつづけているのは珍しい。それも修景だから可能なのである。文化財として凍結するのではなく、状況にあった成長変化を許容するまちづくりになっている。ヨーロッパに例が多いように、一〇年、二〇年ぶりに訪れても路地の先に何があるかが分かる。
ー 109ページ

現在町長になっている市村良三も「決して最初から望んだわけではないし望んだからといって必ずしも実現できるものでもなかったはずだ」と前置きしながら、「事業直後から対外的評価が急激に高まって大勢の観光客が訪れるようになったことが、町民に街づくりの重要性・有効性を認識させるのに絶大な効果を発揮した」という。
ー 108ページ

「公共施設を建設するのに新しい世界を創造しようなどと考えるのはそもそも誤りであって、それでは予算超過とか使用不可能とか、とんでもない失敗をおかす確率が高まる。努力では評価の高い前例を探し出して学習することに向けられるべきだ」と彼らは信じている。リスクを恐れるあまり、「前例に学ぶ」が「前例をそのままコピーする」にすりかえられることも少なくない。(中略)それでは、真に自立した「地方自治」は未来永劫ありえない。
ー 60ページ

逆に協働者となる専門家が存在しない場合、行政担当者たちはどこかで見た前例に頼る。そして、彼らだけでは形態・素材・色彩を変更したときの空間やコストの変化まで把握できないので、最後は既存の例をそのままコピーしようとする。日本のあちこちで同じような公共施設が建てられる理由には、行政担当者本人がクリエイティブ思考できないことに加えて、相談できる専門家が身近に存在しないことが挙げられる。
彼らにとって重要なのは「予算内におさめること」と「手続き上で失敗しないこと」の二点である。

ー 60ページ

当時、市村郁夫が描いた「多様性に富み、活力に満ちて、自立したまち」という理想像は、今日までまちづくりに継承されている。これから述べる町並み修景事業も、時代の流行を追う表層的な近代化志向から脱却して「自立したまち」という理想を目指す運動である。
ー 53ページ

地方のどのまちやむらでも、現状では駄目であって、新しい何かに生まれ変わるために近代化され工業化され都市化されねばならないと、誰もが信じた。小布施ほど歴史と文化が豊かな土地柄でも、住民の目には「ただの田舎」、何もない単なる空白の地と映った時代だった。長い時間をかけて育まれたまちやむらの歴史文化、その基盤となった気候風土の固有性などが、まったく評価されない。

ー 49ページ

町並み保存地区が、アピールされる歴史的形態の意味を理解する世界だとすれば、小布施の修景地区は、体験して歴史を心で感じる世界だろう。 ー 24ページ

小布施町独自の自主的な景観条例は、一九八二年五月から八七年三月まで実施された町並み修景事業を出発点として、行政と住民が協働して進めてきた小布施まちづくりの最大の成果の一つである。
ー 18ページ

身の回りにあるものを活用するので、おのずと日常生活に根ざしたものになる。そこには明らかに、誰にでも素材を組み合わせて自己表現できるという喜びがある。強制も規制もない。あるのは自分たちで考え、工夫する楽しさ。だから、まち全体がますます生き生きしてくる。協働する楽しさと喜び。これが、いちばん大事なことではないか。古いものだけでも新しいものだけでもない。新旧の要素が混在して刺激しあうことでアイデアが生まれ、新しい動きが触発される。
ー 7ページ

修景の具体的方法としては、景観を整えるために、ときには建物を曳いて移動させたり、解体して移築したり、あるいは新築を加えたりする。家の向き・高さ・仕上げを変更することもある。だいたい、その変更・修正は一回で終わらずに継続される。
それに対して、町並み保存は、配置・形態・向き・高さ・仕上げのいずれも、歴史上のある状態に復元保存する。その後の変更はむずかしい。ここが、修景と保存の根本的な相違点だろう。

ー 6ページ

修景とは、簡単に言えば、景観に欠けたところがあればそれを補い、不要のものは取り除き、乱れたところは整えて、一つのまとまりのある景観、一つの世界をつくり上げること。基本は整えることだから、もとの景観に通じる要素もどこかに残して、ときには見る者の内部に郷愁をひき起こす。
ー 5ページ

 

書籍など

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