そして自分一人の力では変わらない現実があることも痛いほどわかっていた。でも私は、一歩踏み出そうと思った。それは今まで見てきたたくさんの理不尽な現実があったからだ。
ー 121ページ
書籍情報
書籍名:裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記
著者:山口絵理子
出版社:講談社
レーベル:講談社BIZ
発売日:2007年09月22日
購入日:ー
読了日:2012年08月04日
レビュー日:2012年08月04日
目次
プロローグ
第1章 原点。学校って本当に正しいの?
第2章 大学で教える理論と現実の矛盾
第3章 アジア最貧国の真実
第4章 はじめての日本人留学生
第5章 途上国発のブランドを創る
第6章 「売る」という新たなハードル
第7章 人の気持ちに甘えていた
第8章 裏切りの先に見えたもの
第9章 本当のはじまり
エピローグ 裸でも生きる
山口絵里子とマザーハウスの歩み
感想・備忘
2012年当時に記載したレビューを転記します。
バングラディッシュに生産拠点を持つマザーハウスのオーナー、山口絵里子さんの著書。
自己啓発本にハマっていたとき、たまたま目にしたのがきっかけで読んだのですが、とっても面白かったです。
この本を読んで、その後に出た著書も購入して読んだり、マザーハウスのカバンも購入してしましました!
いままで走り続けてきたから、前進していると思っていたけれど、よく考えてみると応援してくださる方は増えても、売り上げはそれに比例していない。
メディアの取り上げ方は商品ではなく、すべて私個人に対するものだった。
そして、バッグを買ってくださった方からの注文メールを読み返すと、「貧しい人たちのために何かしたいから」とか「国際協力をしたい」といった内容も多く、バッグが欲しくて買ってくれるお客様は、本当にわずかだと気がついた。
そう。私はバッグ屋として肝心な「商品」でまったく勝負できていない事実から、無意識に目を背けていたのだった。(第7章/人の気持ちに甘えていた p186)
著書にはこのように書かれており、マザーハウス創設当初のバッグが「バッグ」として勝負できていなかったことが記されています。ですが、今のマザーハウスのカバンは、他のブランドと比較して全く遜色ありません。
私は革のカバンが好きなのですが、デザインもシンプルで贔屓目なしですっごく魅力的な商品だったので、迷い無く購入させていただきました。1年ほど使いましたが、解れもなく、丈夫ないい商品だったと思います(現在は、私が汚してしまったため、購入した商品は使えていませんが…)
山口さんは、小学校時代にイジメにあい、その反動で中学時代は荒れ、途中から柔道に目覚め、高校は男子部に混ざって柔道に励み、全日本7位の成績を残し、推薦入試で慶応大に入学し、在学中に米州開発銀行へインターンを行う…など、経歴を並べただけでもとてもドラマチックかつパワフルな半生を送ってこられているのですが、本書ではそのひとつひとつに触れています。重いことも軽いタッチでさらっと書かれていることを見ると、「どのことも全て’今’のこの人を作る土台になっていたと受け止めているんだな」と思えました。
自分の経験から、日本の教育を帰るために政治家になりたい、と慶応大学政策学部の推薦入試を受けた山口さんは、このときの思い出をこう語っています。
面接官は三人。みんなとても厳しい質問をしてきた。記憶に強く残っているのは、ある女の先生。
私が「政治家になって日本の教育を変えたい」、と言ったときに「世界には学校に行きたくても行けない子たちや、もっともっと人の助けを求めている人たちが、たくさんいるのですが、あなたはどうして国内にしか目を向けないのですか?」と言われた。
私はそのとき、
「そうだと思いますが、役割分担ではないのでしょうか。自分がやりたいことが国内ならば、世界のことは、そういうことに興味がある人たちに任せればいい」
なんて適当な答えをした。そのときは、まさか自分が世界の側に回るなんて、思ってもみなかった。(第1章/原点。学校って本当に正しいの? p39)
適当、と言いつつも、その時その時の自分の確固たる信念がなければ、とっさに答えは出てこないのではないかなぁ、と感じました。
そんな彼女は、政治家になるためは経済の勉強が必要だということを知り、「竹中平蔵研究会」という経済政策のゼミに所属。ここで「開発学」に出会います。
開発学では、このように言われていた。
“発展途上国と呼ばれる国は、先進国の開発した技術を模倣できるので、後発の利益を活かすことができる。そのため、発展途上国と先進国の格差は自然と縮小する”
そう、理論では書かれていた。しかし次には、
“現実には多くの問題によりその格差は広がっている”
とも書かれていた。
「多くの問題ってなんだろう?」
そして辿り着いたものが、国際開発、国際協力、開発経済と呼ばれる分野だった。
そのとき、大学受験のときの面接官の女性の言葉を思い出した。
「私はいじめで学校に行けなかったけれど、世界中には社会的システムが原因で学校に行けない子どもたちが何億人といるんだ。あぁ!私の使命はここにあるんだ!」(第2章/大学で教える理論と現実の矛盾 p52)
彼女の目はここで、国内から国外に向けられます。そして、米州開発銀行のインターンでワシントンに渡ります。
しかし、途上国を含めたラテンアメリカへ融資等を行っているこの国際機関で働くスタッフが、誰一人実際に途上国へ行ったことがない、ということに疑問を抱きます。
やっと、ここワシントンに辿り着いたのに、その結果、私はものすごい違和感と、現場との乖離を感じた。けれど、自分の心の中にある疑問や葛藤を認めたくなかった。認めればこれまでの努力が水の泡になってしまうような気がしたからだ。
(この大きなビルは、途上国の現実からあまりにも遠くかけ離れている)
悩み、苦しみ、そして雇用契約が切れる間近、私の心には一つの決心が固まりつつあった。それは、「途上国に行く」ということ。
自分の目でいったいどんな問題が起きているのか、援助は本当に役に立っているのか、貧しいという現実をこの目で見なければ何も始まらない。(第2章/大学で教える理論と現実の矛盾 p67)
そして彼女はPCで、「アジア 最貧国」と検索します。
出てきたワードは、「バングラディッシュ」。
彼女はここで、バングラディッシュと出会うのです。
第3章以降が、バングラディッシュに渡り、現地の大学院に日本人初の留学生となって在学したことや、マザーハウスを設立する経緯、設立したあとの様々な問題、そして日本にマザーハウスの1号店を出店するまでのことが書かれています。
このとき彼女は25歳。
人は、こんなにも人生というものを必死で生きられるものなのか、と思われてしまう彼女の生き方に、魅了せずにいられません。
印象に残ったところ
そして、しばし考えた後、見えた答えがあった。それは「私の人生は私のものなんだ」っていうこと。「私にしかない世界が広がっているんだ」ってことだった。
ー 45ページ
社会を変えることが私の存在意義。もっともっと社会を良くしたい。そこに私という個人の幸福が存在するんだと思った。
ー 48ページ
少し前まで、自分にはできることなんて何もない…とあきらめて日本に帰ろうとしていた私だけれど、一歩踏み出してダメでも、踏み出すことが何よりも大事なんじゃないか、その先にたとえ失敗があったとしても、それは勇気を振り絞って歩いた証拠なんだ。
ー 121ページ
”大事に使う”って、どうしてこの人は、わざわざ私と呼び止めて言ったんだろう。私は今までの人生で感じたことがない、喜びというか、幸せというか、達成感というか、そのすべてをまとめたような気持ちに包まれた。
ー 161ページ
その人にとって、またその人の人生にとって、バングラディッシュは縁のない国。どんな国なのか、どこにあるかも知らない。まして、そこに住む人々がどのような問題に直面しているのかなんて想像もできないと思う。でもこのバッグで、この人とバングラディッシュが繋がった。このバッグによって結ばれたんだ。大袈裟な言い方かもしれないけれど、私はそんな”何かが生まれた”感覚を、すごく強く心に感じた。
ー 161ページ
今、私がここであきらめたら、いったいだれがこの国に光を灯すんだ
ー 222ページ
私は、学校でも、柔道でも、そして大学生活でも、つねに一番にならなきゃ意味がないと思ってきた。競争に勝ったものだけが言える言葉があり、また見える世界があると信じて行動してきた。つねに他人と競争し、比較し、相対的な価値観に頼り生きてきた。しかし、大学四年生の時「現場を見たい」という思いだけで、バングラディッシュに行こうと決意し、実際に二年間滞在し、起業し、会社を経営する中で、その価値観を捨てた。
ー 257ページ
ただ、そんな周りの声の中、私が拠り所にしたことは、たとえば尊敬する人の言葉でも、素晴らしい本でもなんでもなく、自分自身だった。
ー 257ページ
バングラディッシュで見てきた現実の中で自分の人生に最も影響を与えたものは、明日に向かって必死に生きる人たちの姿だった。
ー 258ページ
他人にどう言われようが、他人にどう見られ評価されようが、たとえ裸になってでも自分が信じた道を歩く。
ー 259ページ
目の前には、たくさんの壁がある。周りが全部敵に見える時もあるし、いつも泣いてばかり。しかし、泣いた後に思う。失敗したって転んだって、すべてを失ったって、また私は裸になればいい。
ー 259ページ
書籍など
私が購入した当時は講談社BIZというレーベルでしたが、現在は講談社+α文庫から出ています。
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