思想・宗教・哲学書庫

【読書記録】一日一生

だから自分から見て、どんなに正しいと思えることでも、もしかしたらいろいろなことにとらわれてそう見えているのかもしれない。自分がどんな立場でそれをみているのかということをいつもいつも確かめないといけないんだな。
ー 174ページ

書籍情報

書籍名:一日一生
著者:酒井雄哉
出版社:朝日新聞出版
レーベル:朝日新書
発売日:2008年10月10日

購入日:ー
読了日:2014年06月23日
レビュー日:2014年06月23日

 

目次

第一章 一日一生
一日が一生、と思って生きる
身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す
仏さんは、人生を見通している
足が疲れたなら、肩で歩けばいい
ありのままの自分としかっと向き合い続ける
人からすごいと思われなくたっていいんだよ
「一日」を中心に生きる
人は毎日、新しい気持ちで出会える
第二章 道
生き残ったのは、生き「残された」ということ
長い長い引き揚げの旅が教えてくれたこと
同じことを、ぐるぐるぐるぐる繰り返している
どんな目にあったとしても
人の心には闇がある
ある日突然、妻は逝ってしまった
人生の出会いはある日突然やってくる
仏が見せた夜叉の顔
自分は何のために生まれてきたのか、なにをするべきか問い続ける
その答えを、一生考え続けなさい
第三章 行
衣を染める朝露も、いつしか琵琶湖にそそぐ
歩くことが、きっと何かを教えてくれる
知りたいと思ったら、実践すること
仏さんが教えてくれた親子の情愛
息を吸って、吐く。呼吸の大切さ
仏はいったいどこにいるのか
身の回りに宝がたくさんある
学ぶことと、実践することは両輪
ゆっくりと、時間をかけて分かっていくことがある
第四章 命
ほっこりと温かな祖父母のぬくもり
大きな父の背中におぶわれた冬の日
子供はおぶったりおぶわれたりして育つ
夜店で母が隠した父の姿
心と心が繋がっていた父と母
東京大空襲の時に鹿児島で見た夢
死を目前とした兄と弟
一生懸命生きる背中を子供に見せる
命が尽きれば死んで、他の命を支えるんだよ
第五章 調和
桜は、精いっぱい咲いている
人は自然の中で生き、生かされている
重い荷物を負う中国の子供たちにみた「大志」
心のありようはいろいろなものに作用される
本当は同じものを見ているのかもしれない
命あるものはみな繋がっている
まだ、たったの三万日しかいきていないんだなあ

 

感想・備忘

2014年当時に記載したレビューを転記します。


著者は、昨年亡くなられた、比叡山飯室谷不動堂長寿院住職で天台宗大阿闍梨の酒井雄哉氏(哉は右上から下へのはらいがなし)。天台宗の荒行「千日回峰行」を、2回満行したことで知られます。
天台宗では千日回峰行を満了すると「大阿闍梨」となり、信長の焼き討ち以降で記録に残る限りでは、これを2回満行したのは酒井氏を含むたった三人だけなのだとか。そして2回目の千日回峰行を60歳で満行されており、これは最高齢の記録とのこと。

さぞできたお坊様なのか…と思っていると、この方の経歴がなかなか面白い。

1926年大阪生まれの酒井氏は、勉強が嫌いで小学校はさぼりがち。出席日数が半年ほど足りなかったそうですが、義務教育のため卒業。
が、中学が麻布中学を受けて失敗。慶応義塾商業学校の夜学校に入ったそう。

学校には入れたけど、相変わらず勉強に身が入らないから、案の定落第生でね。
当時は太平洋戦争のまっただ中。だんだんと空襲も激しくなってきて、学校もいつなくなっちゃうかわかんないような状態になってきた。
そんな時、担任の先生に呼ばれたの。「学校もこんなだから、君のことを落第させずに卒業さしてやりたい。だけど君の場合は、いくら逆立ちさせたって点数が足りないんだ。だけど軍隊に志願すれば、自動的に卒業と認められる制度ができたんだが、どうか」という。

p46-47

こんないきさつで、軍隊に志願して中学校を卒業した酒井氏は、訓練を受けて鹿児島県の鹿屋飛行場に配属されます。大隈半島にあった鹿屋は、当時海軍の飛行場があり、特攻隊の基地となっていました。
優秀な人から次々に出撃していったという鹿屋で、酒井氏は終戦を迎えます。

ぼくが生き残ったのは、何を教えても何をやってもらちがあかないからいつまでも残されていたから、だから生き残っているわけなんだよ。そのぶん、一生懸命坊主になって、やらされてんだな。
生き残るんじゃなくて、生き「残される」ものなのかもしれないな。なにかお前さんはざんげしろ、もっと世の中のためになれって、そういうことでもって仏さんは、この世に残しておいているんだよ。
命が残されているっていうことは、今何歳であろうと、まだまだしなくちゃなんないことがあるのとちがうかな。

p49

本当によみ進めていると、泥臭い、人間らしい一面がたくさん見えてくるのですが、「なぜ」「なんのために」「自分はなぜ生きているのか」というようなことを、酒井氏は随所で自分自身に問いかけていたようです。
その問いに対する酒井氏の「答え」が、とてもシンプルで、シンプルゆえに胸に響き、なんだかほっと心が温かくなります。

個人的に印象に残ったのは、結婚して2カ月だった奥さんが亡くなったくだりにあった一文。
にこにこお話をされる酒井氏の、行を積まれた数十年の月日の裏側、本当に人間らしい一面が感じられました。

こないだ、嫁さんが亡くなって五十年の法要をするから来てくださいっていう手紙が来ていたの。「ああもうそんなになるのか。行かなきゃいけないなあ」って思ってたんだけど、他の用事がいろいろあって、気が付いてみたら法事が終わっちゃってた。薄情というのか…。
みんなは何周忌だとかいって、やれ三年だとか一三年になったから拝みましょう、盆とお彼岸にはお墓参りをしましょうってやってるけど、僕は毎日拝んで、毎日付き合っている。毎日が法要のようなもの。あわてて一三年だ、五〇年だっていうことないんじゃないって。すごい開き直りなんだけど。
いろんなことをざんげしたり、みんなが幸せになるにはどうしたらいいだろうなんて考えながら、ただひたすら、拝み続けるだけだよ。

p69

 

印象に残ったところ

今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。
ー 12ページ

人間のすることで、何が偉くて、何が偉くないということはないんじゃないかな。仏さんから見ればみんな平等。自分の与えられた人生を大事に、こつこつと繰り返すことが大事なのじゃないかな。
ー 16ページ

現実に今とらわれている世界だけでもって勝負してしまうから表面ばかりが気になるが、人生は見えている世界だけではないからね。
ー 27ページ

大事なのは、今の自分の姿をありのままにとらえて、命の続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな。
ー 28ページ

でも何も変わらないようにみえても、自分自身はいつもいつも新しくなっている。毎日毎日生まれ変わっているんだよ。一日だって同じ日はないしな。
ー 35ページ

「一日が一生」という気構えで生きていくと、あんまりつまらないことにこだわらなくなるよ。今日の自分は今日の自分、明日の自分は明日の自分、と考えれば、今日よくないことがあっても引きずらなくてすむ。
ー 38ページ

どんなにひどい目にあっても、時間がたてば必ず、いろいろなことがあったなあ、と思える時が来るよ。後になってから意味が分かることもある。
だから、あせることも、自分はだめだと思うこともないよ。目の前のことをただ、一生懸命やるだけだよ。人生はその時だけじゃないんだって。

ー 61ページ

圧倒的な何か、思わずひれ伏してしまうようなできごととの出会いも、出会いにちがいない。そういう瞬間が、必ずあるもんだな。
ー 72ページ

人はだれもが、どこにいても何をするにしても、「何のためにきた」「なにをするべきか」っていう宿題を仏様から授かって生きているんだよな。
ー 81ページ

自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えが分からないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。
ー 84ページ

何かを置き忘れているような気がしたら、少しずつでいいから、歩いてみるといい。
ー 94ページ

知っていることを生かすことができないってことは、結局、生かすところまでを学んでなかったってことになるんだよな。
 ー 97ページ

自分の心の中に如来様がいて、日光と月光が自然のなかに立っている。その真ん中にいるのが仏なんだ。
ー 110ページ

仏さんはいつも心の中にいる。自分の心の中に仏さんを見て、歩いていくことなんだな。
ー 110ページ

すぐに分からなくていい。時間がかかってもいいから、自分が実践してみたことや、体験したことの意味を、大切に考え続けてみるといい。
ー 122ページ

本当は同じものを見ているってことはないだろうか。見方が違うだけで。人の目は、自分はちゃんと見ているつもりでも、角度や視点、経験、いろいろなもので案外簡単に左右されてしまう。
ー 177ページ

 

書籍など

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