ものすごく久しぶりに一人旅、それも京都に行ってきました。
旅行中って写真を結構撮るのですが、私の場合はこうやって記事などにまとめてWebでメモをつけながら見れるようにしないとあんまり振り返ったり覚えていられなかったりするので、今回は忘れないうちに記録しようと思います。
京都旅行概要
今回2泊3日で行ってきました。
各日の行ったところはこんな感じです。
■1日目:
・八坂神社
・知恩院 ★初
■2日目:
・綾戸國中神社 ★初
・九条陵、月輪南陵、防長維新藩士之墓 ★初
・東福寺 ★初 ※拝観料払って中に入ったのは初
・崇徳天皇廟
・六道珍皇寺 ★初
・六波羅蜜寺 ★初
■3日目:
・冠者殿社 ★初(1日目に行ったがお祭り中で人が多かったのでリベンジ)
・八坂神社
・幕末志士葬送の道 ★初
・霊明神社 ★初 ※手前まで行ったことはあったんですが境内入ったの初めて
・霊山護国神社
・霊山歴史博物館
・京都国立博物館(法然と極楽浄土)
・法住寺陵
久しぶりにめちゃくちゃに歩き回ったので、さすがに3日目足と腰が死にかけていました…。
京都に行ったのは写真フォルダをみると2018年以来、6年ぶりだったのですが、2014年に行ったのは記事にしているけれど、そのあとの2017年、2018年に行った記録をつけていないので記憶がおぼろげです…。写真見れば思いだすのだけど、来年中にはまとめて振り返りたいですね。
1日目(主に移動)
■1日目:
・八坂神社
・知恩院 ★初
1日目は主に今回の移動手段に関する話です。
1日目は当然移動から始まるのですが、Uターンしたあと京都行くの初めてで、なんと新潟から京都に行くのが高校の卒業旅行ぶりでした。
私の初京都は中学校の修学旅行で、次がこの高校の卒業旅行だったのですが、当時は夜行のサンダーバードで確か一本で行ったような記憶があります。
が、しかし、時代は変わり様々な夜行列車が廃止になった昨今。
近くにカフェや有人施設のないド田舎で虫と不審者に怯えながら高速バスに乗ることは、中年女性になってもおっかないし腰が死ぬので早々に却下し(私の最寄りのバス停の話であって、もうちょっと都会よりの場所は治安がいいはず)、最終的に乗り換え2回。以下の経路で移動しました。
・金沢→敦賀(JR西日本・新幹線) ※e5489でチケット予約。金沢駅で発券
・敦賀→京都(JR西日本・特急サンダーバード) ※e5489でチケット予約。金沢駅で発券
敦賀→京都間は米原経由のほうが安くて速いという噂もあるのですが、現状紙チケットのみで発券エリアがJR西日本のみ…という感じのものが多く、今回まさにそうだったのですが東日本から出発すると 乗り継ぎ発券RTA みたいになるので注意が必要です。
私も西日本のネットサービスであるe5489に会員登録してチケット取ったのですが、電子チケットよりも安い日付割のチケットは今現在紙のみのようで、かつ金沢駅以西でしか発券できませんでした。ので、往路の金沢乗り換え時間を30分ほど確保し、そこで一回新幹線改札外に出て復路分も含めて発券…という感じにしました。
といった感じで、お金に特にこだわりがないよ!って場合は普通に紙でなんでもチケット取ったらいいと思うのですが、できるなら快適に安く移動したい人間なので県内から移動する手段がかなり面倒くさかったです。
おそらく高速道路など使って車で移動する人が大多数で、あまりこの移動手段に関することを話している記事などが今回ググった限りは少なかったので、公共交通機関で移動したいよ!という方にもしかしたら役に立つかもしれない…と思いメモしておきます(私は移動中は寝たりボーッとしたいので公共交通機関大好き)
実際どんだけ安くなったんじゃ、というのを含めて参考に今回の旅費です。
ドン。
左が比較用で、右が実際にとったものです。
自由席が一番安いのはそりゃそうだなのですが、いつもお世話になっているJR東日本のダイナミックレールパックや、日本旅行さんのパックはJR東とJR西で分かれることもあり「新潟から京都!!!」みたいないい感じのパックがありませんでした。
ので、どうしても金沢でぶち切って金沢⇔京都往復新幹線付きのパックにするか…みたいな感じでしたね。
今回10日ほど前に行くことが決まったということもあってWEB早特7しか使えませんでしたが、一カ月前とかだともっと安いチケットが出ているのであと1000円くらいは安くなるかもしれません。
あとホテルに関しては場合によっては絶対パックで予約したほうが安いしきれいなのですが、今回は行楽シーズンということもあってパックでとれるお宿も空いているのが微妙(駅から遠いとかものすごく高い高級宿とか)だったので、個別で楽天でとりました。
ドミトリーでもいいかな、とか思ったんですが、結果的に普通のビジネスホテルとったのでこの値段ですが、ドミトリーでもよければこの部分ももう少し下げられるかと思います。
2014年にお世話になった休兵衛さんもまだ営業されているし、2017年に京都に行ったときは二条城近くのカプセルホテルに泊まりましたが、寝るだけ&夜爆睡できる自分にとっては快適でした。
行きのサンダーバードです。
早めに乗ったのですが後ろのほうにすでに人が座っていたので前のほうにちょっと移動して写真撮りました。
照明がちょっと薄暗くていい感じです。
あとアンケートやっていて、答えたらJR西日本のボールペンもらえました。私以外も結構みんな答えていたし、アンケート用紙写真撮っている人もいましたね。
車内放送でアンケートのことが流れていたのですが、てっきりテロ対策かなんかで、怪しいやつに怪しいとは言えないからアンケートという名目で話しかけたりして警戒してんのかな…と思っていましたが本当にアンケートでした。
いや実はやっぱりそうで私も怪しまれていたんだとかそういうことは無いと信じたい…。
そんな感じで午後一には京都について、ホテルにチェックインして荷物を置いたあとお昼を食べに出かけました。
1日目はお昼から仕事の付き合い関係で人と巡っていたこともあり、八坂神社と知恩院に行きました。知恩院、初めて行ったのですが想像以上に「寺!!!!!」って感じで楽しかったです。本堂に行くための階段キツ過ぎました…。
あと本題と関係ないですがこの知恩院の写真、初めて噂の「人を消せる」という機能で映っていた人を消したのですが、左下時空歪んでしまいました。こうなるのか。
個人的にはモザイクでいいかなという気がしますが、以降、人を消したときは「人を消しました」と書くようにします。ただ今回は奇跡的に人が少なかったのであまり消さずに済みました。
2日目
■2日目:
・綾戸國中神社 ★初
・九条陵、月輪南陵、防長維新藩士之墓 ★初
・東福寺 ★初 ※拝観料払って中に入ったのは初
・崇徳天皇廟
・六道珍皇寺 ★初
・六波羅蜜寺 ★初
朝食です。
今回京都駅から徒歩10分ほどの距離にある、京都第一ホテルさんにお世話になりました。朝ごはん付きのプランだと和定食か洋定食を選べますが、個人的には絶対和定食のほうが良いと思います。美味しかった。ただ、洋定食のほうが人気なのか無くなりがちなのだとか。
そんな2日目は、朝コンビニでモバイルsuicaをチャージするところから始まりました。
乗る回数によりますが、今までお世話になっていた1日乗り放題券を買うよりも、電子マネーでバスや電車に乗ったほうがお得になることに気づいたのが今回の京都旅行の一番の収穫です。
綾戸國中神社
そんなわけでJR京都駅から電車にのって桂川駅まで移動し、そこから徒歩10分くらい歩いて最初の目的地へ行ってきました。
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)です。
京都のお祭りとして超有名な京都八坂神社の祇園祭ですが、八坂神社のご祭神はスサノオノミコトで、八坂神社ではスサノオノミコトの和御魂(にぎみたま・神の優しい側面)をお祭りしています。
そして、この綾戸國中神社ではスサノオノミコトの荒御魂(あらみたま・同じ神の荒々しい側面)をお祭りしており、この神社の氏子のなかから選ばれたお稚児様が、祇園祭の神輿を先導しているのです。
手水舎。
お水が出ていました。コロナで撤去しているところ多かったので久しぶりにちゃんとお作法通りやりました。
遷宮記念碑。
現在の神社は新幹線の架線工事の影響で元の場所から移動されているそうです。
本殿。
荒御魂はいろいろ解釈がありますが、個人的にここを訪れて思ったのは「若い!」とか「フレッシュ!!」みたいな感じでした。八坂神社のほうはもっと大人な感じがしますね。
社伝のところにもありますが、もとは牛頭天王(スサノオノミコトと同一視されている)を祀っていた國中神社と、大直日神・神直日神が祀られていた綾戸神社が別にあり、その2つの社が合祀されたのだということです。
大直日神・神直日神は、日本神話でイザナギの神が黄泉の国へ行った帰りに禊をして生まれた神様で、産まれの経緯通り、一般的には穢れを払って禍(まが)を直すという神さまだといわれています。
大殿祭の祝詞に「言寿き鎮め奉る事の、漏れ落ちむ事をば、神直日命・大直日命聞き直し見直して」と見え、ここでの二神の働きは、祭りの中で、祝詞や幣物に疎漏があった場合に、それを聞き直し見直して正しく改める働きをしているとする説がある。また、御門祭の祝詞に「咎過ち在らむをば、神直び大直びに見直し聞き直し坐して」、遷却祟神の祝詞に「荒び給ひ健び給ふ事无くして、高天の原に始めし事を神ながらも知ろし食して、神直び大直びに直し給ひて」とあり、神直毘神・大直毘神との関わりを想起させる表現が見え、「直す」の修辞として、直毘神の神名を借りた比喩的な表現とも考えられる。
大直毘神は、宮中の十一月の鎮魂祭(『延喜式』四時祭下)において「大直神一座」として、御巫の祭る八神とともに祭られている。これを、使い古した魂の力を元に戻す働きによるものと解する説がある。大直毘神 ― 國學院大學「古典文化学」事業 神名データベース
という感じでよく分からない謎の神さまなのですが、祀られている主要な神社や合祀されている神々を見る限り、たぶん古い神さまなのだろうなと思います。桂川、淀川周辺のこのあたりを治めるにあたって尽力した方々なのでしょう。
御朱印をいただきたかったのですが、口コミであった社務所の場所を見つけることができず「またくればいいか…」と今回はおとなしく駅に戻りました。
九条陵、月輪南陵、防長維新藩士之墓
再び電車にのり、今度は東福寺駅まで移動します。
東福寺には何回か行っていたのですが、今回のお目当ては以下の記事でも少し紹介した、奇兵隊士の藤村英二郎さんをはじめとした方々の眠る防長維新藩士之墓です。

東福寺の六波羅門から徒歩で5~10分くらいですかね。
途中坂が結構きついので、運動不足の中年は涼しい気候にかなり助けられました。
東福寺からの坂を登り切り、住宅街を抜けると入り口が見えます。
このあたりにくると観光客もいないのですが、この時たまたま見切れた左端に海外の観光客の方(どこ行ってきたんだろう)がいて、私がこの写真を撮ろうとしたときにたぶん自分たちにカメラを向けられたんだと思ったのかちょっとビックリされていました(彼女たちから見てここが死角になっており、その後、歩いてきてこの入口に気づいて納得された様子で去っていった。ごめんね…)
撮らなくてもよかったのですが「違うんです、ここを撮っていたんです」の証明をする意味で寄って取った入口の石たち(これ撮っていたらようやく海外の方が歩み寄ってきた…)。
入口の階段を上るとこんな開けた坂道が出てきます。
これを中腹まで登ると右手に見えてくるのが…
皇嘉門院(藤原聖子)の月輪南陵です。
藤原忠実で娘で、九条兼実や慈円の腹違いの兄妹にあたります。崇徳天皇の中宮になられた方ですね。
ちょっと不勉強で来るまでこの方がここに眠られていることを知らなくて、「うわ~~~!これは今日また崇徳廟に行かなくちゃ!」と思ったのでありました。
この陵を過ぎて山のほうを見るとこんな感じ。
まだ緩やかに上りますが、晴天の日の10時頃だったにも関わらず、木々が生い茂っていてちょっと暗くなります。
その暗いところに入って振り返るとこんな感じ。
左下に見えるのが月輪南陵。中央には京都タワーも見えて、かなり見晴らしがいいです。
さらに登って振り返るとこんな感じ。
この写真の状態で左手(上ってきている向きのままだと右)に、「防長維新藩士之墓」があります。
写真は撮ったのですが、ここでの掲載は控えます。
季節柄、枯れ葉で地面は覆いつくされていましたが、手入れされているのでしょう、墓前に雑草が生い茂っていなかったので無事お参りすることができました。
藤村さんは入って左手の一番手前にお名前がありました。
その「防長維新藩士之墓」からさらに山側にあるのが、仲恭天皇の九条陵です。
山側といってもすぐ上なので30秒もかからない感じです。
登りきるとこれが出てくるので、
右手に曲がります。
ちょっと右側に映っちゃってるのが「防長維新藩士之墓」です。この道を突き当たって左手に…
九条陵があります。
場所が場所だけにこの写真アップするか迷ったのですが、書いている今現在特にネットワークエラーにもなにもならないし、頭も痛くならないので良いのでしょう…と思ってあげておきます。
仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)は、日本史史上最も在位期間の短い天皇で、順徳天皇の子として生後1か月で立太子、承久3(1221)年4月20日に4歳で即位されたものの、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱で敗北したことを受け同年7月9日に廃位させられました。その後は母親の実家である九条道家のもとへ引き取られ、そこで17歳の生涯を閉じられました。
このような経緯で正式な諡号もなく、九条廃帝などと呼ばれていたのですが、明治維新後の明治3(1870)年に明治天皇の命により淡路廃帝(淳仁天皇)などと共に追諡されることとなり、同年7月に「仲恭」の諡号が撰定されたということです。またこのような経緯から正式な埋葬場所も不明であり、同じく明治になってから九条殿跡といわれるこの地を陵と治定した、ということでした。
…ということをこのあといった東福寺のベンチでググって知ったのですが、天皇のお后の陵より上で、天皇より下の位置に長州藩墓地があるの色々考えるものがありました。
東福寺
そんなこんなで山を下りて東福寺にやってきました。
何回か来ているのですが方丈や通天橋などに入ったことがなく、今回時間に余裕もあったので良い機会だと思い行ってきました。
瓦のところに「東福寺」「恵日山」ってあるの初めて気づきました。
この時点でまだ10時半くらいで、平日だったこともありわりと空いていました。方丈の入口のほうで私は通天橋との共通拝観チケットを購入し、先に方丈、次に通天橋、という順序でまわりました。
なお方丈のほうで普通のトイレがあるのでお世話になりました。観光地の屋内トイレはありがたいですね。拝観料とって入った中にあると特に。
方丈はしばらく座って足を休める意味もあってボーっとしていました。
日本人より海外の方のほうが圧倒的に多かったのですが、皆さん行儀よく座って同じようにボーっとしていたので良かったです(暖かかったし日向ぼっこしているみたいだった)
通天橋。
結婚式の前撮りをされていたのですが、それが終わったあとにとりました。
前撮りのカメラマンがめちゃくちゃテンション高くて面白かったです(海外の方だったのですが、遠くから聞こえるたぶん外国語で「めっちゃいい!!いいよ!!!」系の叫び声笑ってしまった)
愛染堂。
これもうちょっとして紅葉の時期になったらめちゃくちゃきれいなんだろうなぁ。
これは東福寺来るときに通る、無料の橋です。
いつもこの橋から東福寺を撮っていたので、逆側からとるのちょっと感慨深かったです。
先ほどの無料の橋を撮ったところで振り返ると通天橋を見上げる形になります。
前撮りのカメラマンが叫んでいた位置は右側の通路を上がったところですね(ちょっと広いスペースがあります)。
通天橋に入れるエリア側は結構お庭で歩ける範囲が広く、ベンチも結構あって座って本を読んでいる方もいました。近所の方なのかな?
個人的に思ったよりかなり良かったので、ゆっくり時間を潰したい、自然に癒されたいという場合は東福寺今後もありだなと思いました。
休憩(一華院とお昼)
11時を少し過ぎたので、混まないうちに東福寺の駅前でお昼をとることにしました。
駅に向かっている最中、やたら変な声で鳥が鳴いており(本当に変な声で、ほかのお客さんも木を見上げていた)、気になったので立ち寄ったのかコチラ。
東福寺の塔頭寺院である一華院さんです。
期間限定で公開されているところで、この日は非公開でした。が、御朱印が境内においてあり、お金を備えられているボックスに入れると受け取れる仕組みになっていました。
いただける御朱印の一部。
せっかくなので私は白衣観音と四神の切り絵の御朱印をいただいて(お金をボックスにいれて)帰りました。
お昼は東福寺駅から3分くらいのところにあったこちらで。
行きに目星をつけていたのですが、時間が早かったこともあり空いていました。
入口で靴を脱いであがります。
入ってすぐテーブル席が何席かあり、奥に二部屋ほど畳のお部屋がありました。私はたたみのほうにしてもらいましたが、窓の外の緑がきれいでした~。
名物のふくふくそば。あとアイスコーヒーを注文しました。1500円くらいだったかな。
これにニシンがついたものもあったのですが、にしんそばは以前京都に来たときに食べたことがあったのと、久しぶりにちゃんと朝食を食べてお腹がそこまで減っていなかったので、にしん無しのこちらに。
いろいろ味変ができるようにつゆが2つついてきます。
個人的にはこのお揚げが美味しかった~。お蕎麦もツルツルで美味しかったので、このお蕎麦だけ単純に大盛で食べたいくらいでした。
崇徳天皇廟
足を休めたあと、東福寺からバスで東山安井に向かい、そこから徒歩で崇徳天皇廟に向かいます。
いつも崇徳天皇廟に向かうとき、東山安井でおりて安井金比羅宮を突っ切ってしまう…(いつも混んでいるので安井金比羅宮ちゃんとお参りしたの最初の1回だけです)。
崇徳天皇廟は安井金比羅宮の正面向いて右の鳥居を出て、ずーっと直進すると左手に見えてきます。
白峯神宮よりこちらに伺うことのほうが多くなってきました。
この崇徳天皇廟の灯篭に入っている「京うた」さんの女将がこの廟の整備に尽力された方なのですが、このあたりの話は竹田恒泰氏の『怨霊になった天皇』の最終章に書かれています。
六道珍皇寺
崇徳天皇廟から歩いていってきたのが六道珍皇寺。
入口の看板にある通り、閻魔王庁の冥官と呼ばれた小野篁に関連する寺院です。
ここは数年前に仕事関連の友人と京都に関する話をしていたときに、「ここ(私が)好きそうだよ!地獄めぐりだって!」とすすめられて知りました。地獄に関する話なんてしていなかったのにいったい私のイメージどうなっているんだ…と思っていたのですが、今年の夏にお子さんを連れて久しぶりに遊びに来てくれるくらいにはまだ仲良くやっています。
そんなこんなですすめられていたのを思い出したので、せっかくだからと今回足を運んでみました。
境内にあった「日新電機創業の地」の碑。
門を入って左手にありました。
本堂。門を入って正面にあります。
井戸の案内がありました。
右側とのことだったのですが、よく分からなかったので断念しました。
あとでひとさまのレポをみたら、庭みたいになっていたところだったようです。てっきりよく見る石で固めた、地面から盛り上がった井戸があるのかと思っていました。
本堂の左手、日新電機の碑の右方面にある水子地蔵群。
3色の前掛けあり、カラフルだったからか、はたまた日があって明るかったからか、こういう水子地蔵様の場所で感じるちょっと悲しい暗い感じの空気が薄くて不思議な感じでした。
ちょろちょろ観光客の方もいて、鐘がつけることもあってにぎやかな感じでした。
六波羅蜜寺
六道珍皇寺から歩いて5分~10分くらいのところにある六波羅蜜寺にも行ってきました。
有名な空也上人の像や、平清盛の像を所蔵しているお寺です。
空也上人像は2022年3月に東京国立博物館であった、「空也上人と六波羅蜜寺」展で拝見したことがあったのですが、当時の展覧会では360度みれたものの人が多く、六波羅蜜寺では正面(+ちょっと横)からしか見えないものの空いていたのでゆっくり見ることが出来ました。

入ってすぐある観音さま。
この金の梵字を起点にして3回、わっかを回しながらお願いすると叶うそうです。
手水舎とかえるの石。悪いところをなでると治るといわれる「なで牛」の石などもありました。
六波羅探題が付近にあったことを刻んだ石。
本堂。
靴を脱いであがることが出来ます。
この本堂の向かって右に細い通路があり、そこから有料の令和館に入ることができます。
令和館の入口手前に五頭天王社があったのがなんだか可愛かった。
令和館を含めて六波羅蜜寺の拝観できるエリアはかなり狭いのですが、見ごたえがすごかったです。そんなに歩かなくてもいい距離に色々あるので楽しめるかと。
拝観終わったあとにお遍路の格好をした方々がバーッとたくさん来られたので、真言をあげているところをみられたりして面白かったです。
この日買ったもの
東福寺の一華院の御朱印。
書置きだったので日付は自分でいれるスタイルです。
四神の切り絵御朱印はクリアファイルに入っており、このクリアファイルがまた可愛かったです。
白衣観音さまも描かれていて良かった。
六波羅蜜寺で購入した切り絵御朱印と、おみくじ2つ。
このおみくじの人形を集めるのが、クリアファイル収集に続きすっかり趣味になっています。
なで牛のおみくじには吉祥おみくじが入っていました。
おみくじは「吉」とかよりもこの歌とか神の教えとかのほうに書いてあることをよく読むようにしています。前日に八坂神社でも引いたのですが、今回の旅では総じて「なまけず信心怠らず素直にしっかりやりなさい」的なものばかりだったので、身を引き締めて頑張っていこうと思います。
3日目
■3日目:
・冠者殿社 ★初(1日目に行ったがお祭り中で人が多かったのでリベンジ)
・八坂神社
・幕末志士葬送の道 ★初
・霊明神社 ★初 ※手前まで行ったことはあったんですが境内入ったの初めて
・霊山護国神社
・霊山歴史博物館
・京都国立博物館(法然と極楽浄土)
・法住寺陵
最終日はこんな感じ。
冠者殿社の写真を撮りたかったので朝早くに出る必要があり、この日はホテルの朝食を食べられませんでした…残念。
筋肉痛と足の疲労がこの日起きたときからピークで、休憩を適宜いれた最終日でした…今までの旅行で一番体がしんどかった…。
冠者殿社
早朝、通勤ラッシュ前の時間に電車でいってきたのが、四条河原町駅から出てすぐの冠者殿社です。
10/20がこの神社の1年に1回のお祭りで、当日様子を伺いにいったのですが福引をしていたりかなり人がおり、写真も撮りづらかったので朝リベンジしました。
写真の時間をみたら7:50頃になっていました。車もいなかったので全景とれてうれしかった~。
冠者殿社は八坂神社の御祭神であるスサノオノミコトの荒魂を祀っておられます。
2日目に行った綾戸國中神社と同じですね。
また、案内板の通り誓文払いのお祭りが10/20に行われています。この日は1年間に商売の関係でついた嘘などの罪が許される…ということで、20日に来たときは地元の商店街の方が福引大会を行っていました。
八坂神社
朝の八坂神社。横断歩道に人が映っていたので消しました。
そんなこんなで、2日目の綾戸國中神社に続き、冠者殿社もいってきたので、いざスサノオノミコトの和魂をお祀りしている全国八坂神社の総本山にやってきました。
朝早かったのでまだ屋台も開いておらず、空いていました。
角が生えている狛犬さん。
本殿。
ここも2人ほどおまいりされていた方を消したのでお賽銭箱の時空が歪んでしまいました。
何回か京都にきているし、八坂神社も掲題を歩いたりしていたのですがちゃんとお参りしたのは今回初めてでした。境内にある摂社さまにまずグルッと参拝したあと本殿でお参りしたのですが、祖霊社の空気が個人的に好きでした。
社務所もまだ空いていない時間だったので御朱印などは後ほど貰いに来ました。
参拝を終えた後は、こちらの門を抜けて、清水寺方面にずーっとまっすぐ歩いていきます。
前田珈琲
八坂神社からてくてく一本道を歩いて行った先にあるのが、前田珈琲さんです。
2014年の京都旅行時と同様、このあと行く予定の霊山護国神社などが空く時間までこちらでモーニングをいただくことにしました。

クロワッサンのセットにしました。コーヒーは寧々ブレンド。
前回伺ったときは1階席だったのですが、今回は2階の外が見える席でいただくことができました。
やっぱり海外の方が多かったですね。スタッフの方がみんな親切丁寧に対応されていて、海外の方もスマホでメニューをとって翻訳しながら選んでいるようでした。
すぐ隣の席にいたマダム達がどこの国の方か分からなかったのですが、時々「カフェオレ」という単語だけ聞き取れていったい何の会話をしているんだ…とちょっと気になりました(楽しそうでした)
幕末志士葬送の道、霊明神社
9時半くらいまでゆっくりモーニングを食べたあと、こちらに向かいました。
幕末志士葬送の道です。
いつも霊山行くときは高台寺側の坂道を登っていっていたので、ここを通ったのは初めてでした。
階段の手前に案内板などがあります。
ここは幕末に霊山に埋葬するために志士たちの遺体を運んだ道なのだそうです。
道は階段になっていました。
階段になっているので歩くこう配的には高台寺側の坂ほどではありませんが、段数があるので結構疲れました。
登り切って上からとった図。
私は京都3日目ということもあり疲労困憊で、この階段を登り切った段階で息切れしまくりでした…。
息切れしながらさらに上った黎明神社に続く階段。
若いお姉さんとすれ違ったのですが、本当に私めちゃくちゃハァハァ言っていたうえに全然人がいなかったので、不審者扱いされないかビクビクしながらのぼっていきました。
霊明神社は文化6(1806)年に創建された神社ですが、幕末に国事に殉じた志士たちを神葬したことをきっかけに志士たちとの関わりが強くなっていったようです。
その軸になったのが久坂だったこともあり、毎年久坂の命日には秋湖祭という法要が行われているとのことでした。
入口まで来たことはあったのですが、なかに入ったのは今回が初めでした。
猿田彦さまに関連した神石があることを知らなかったので、ちょっと感動しながらおまいりしました。
奇兵隊士などが眠る、京都東山の防長藩士之墓に行ってきました。
霊山周辺も数年ぶりに行ってきましたが、葬送の道を通って霊明神社さんには初めて参拝でき嬉しかったです。 pic.twitter.com/ajOQHMgvbY— 鳥尾小弥太bot (@toriokoyata) October 24, 2024
御朱印は3種いただきました。
秋湖祭のもの、まだ残っていたようでいただけたので嬉しかった~。
霊山護国神社
霊明神社に参拝したあとは坂を下ってそのまま霊山護国神社にやってきました。
おまいりしたあと、お墓のほうへ。
かなり久しぶりでしたが、久坂のお墓の位置覚えていたのでスムーズに行けました。
この霊山の久坂のお墓は私にとってのゼロポイントなので、初めて来てからもう20年近くなるのだなぁ…あの頃よりも自分は成長できたのだろうか…など色々考えながら手を合わせてきました。
霊山にまいって10時を過ぎたので、幕末維新ミュージアムへ。
ここも来たの10年以上ぶりです。池田屋や寺田屋のジオラマは記憶があったのですが、桂さんのVTRと龍馬のVTRって前もあったっけ…?と記憶がもう全くなくて改めて観ました。
龍馬のほうはイスがあったので、15分見ながらプルプルし始めた脚を休ませていただきました。
お土産でクリアファイルをいくつか買って、坂を下っていきます。
維新の道の碑。
ここから八坂神社に戻り、御朱印を貰ったあとに祇園のバス停から京都国立博物館へ向かいました。
京都国立博物館
博物館前で下車して向かった京都国立博物館。
「特別展 法然と極楽浄土」展に行ってきました。先だって東京国立博物館で開催されていたこの特別展ですが、お膝元の京都でしか展示されないものがいくつかあり、日程もちょうどよかったので助かりました。
10/22に行きまして、この日は市内で時代まつりがあり、観光客の方々はそちらに流れていったようで空いていました。
霊明神社でも時代まつりの話を神社の方としていまして、市内の道路が封鎖されるので「昔ねぇ、知らずにタクシーのっちゃって(渋滞で)えらい目みましたよ…」とお話されていて京都の人は大変だな…と思いました。
写真撮影OKだった立体涅槃図。
音声ガイド借りていったのですが、ガイドで紹介されていたカタツムリの像が可愛かったです。展覧会については別途記事を起こそうかなと思いますが、とにかくこの辺りになるともう足が結構限界で、フロアのベンチを渡り歩いては休憩していました。
13時くらいに見終わったので、博物館内の前田珈琲でお昼を食べました。
特別展期間はランチセットやっていないようだったので、たまごサンドと龍之介ブレンド。
ここも以前来たときは別のカフェだったはずなので、いつの間に前田珈琲になったんだ…とちょっと驚きました。

いっぱいになるようだったら早めに出ようかな、と思ったのですが、上述の通り時代まつりかつ平日だったこともあってかなり空いていたので、足をしっかりここで休めさせていただけました…。本当に助かった。
後白河天皇 法住寺陵
ランチを終え、足もけっこう回復したので最後に後白河天皇の陵にご挨拶しようと向かいました。
人が映っていたのでここも消しました。
向かう途中の道で建物を解体しており、こういう工事現場みたいなやつってなんで心惹かれるのか…と思いながら撮りました。
15時前だったのですが、養源院はもう閉門しており、その門前にいたお猫さま。
この黒猫ちゃんを撮ろうとしゃがんでスマホを向けたら…
後ろにいた茶猫ちゃんがガードするように正面に出てきて笑ってしまいました。
その後「この子は俺のやで!!」と見せつけるように黒猫ちゃんにじゃれ付き、ちょっと毛づくろいをしてもらったものの、
元々お眠だった黒猫ちゃんはすぐまたお昼寝の態勢になってしまい、茶猫ちゃんはしばらくお手てでちょいちょいしておりましたが、その後諦めて自分で毛づくろいを始めていました。
私はいったい何を見せられたんだ…(かわいいありがとう)
お猫さまズにニコニコしながら向かった後白河天皇陵。
ここも一番最初に訪れた時は週末で門がしまっていなくては入れなかったのが懐かしいです。
西田さんの後白河法皇もとても良かったですが、私は松田翔太の後白河法皇のビジュアルが最高過ぎて「最高でした…」と、疲れ限界だったので不敬なことを想いながら手を合わせてしまいました申し訳ありません、でも最高でした。
スペシャルドラマ保元の乱とかで、崇徳さまを龍平さん、後白河さまを翔太さんでやってエモさ爆発させませんか…。
そんなこんなで京都駅に戻り、お土産を買って帰路につきました。
本当に久しぶりの「旅!!」って感じの旅だったので終始楽しかったです。今度はまだ行ったことのない大原とか、また貴船のほうに行けたらな、と思います。
コメント