心に親がいなくて辛さに耐えるということがどれほど苛酷なことか、心に親のいる人には、恐らく理解のできないであろう。なんの心の支えもなく、ただただ辛さに耐えて頑張らなければならないのである。
殴られても殴られても「痛い!」とも言えないで、ただじっと耐えるのである。これが五歳児の大人が味わっている生きる辛さである。
ー180ページ
書籍情報
書籍名:「大人になりきれない人」の心理
著者:加藤諦三
出版社:PHP研究所
レーベル:PHP文庫
発売日:2008年11月04日
購入日:2024年12月23日
読了日:2024年12月30日
レビュー日:2025年01月13日
目次
はしがき 子どものまま、大人になってしまった人々へ
第1章 「五歳児の大人」とはどんな人なのか
心は五歳児、体は大人
心理的課題から逃げた「良い子」
自分は何者であるかを知れば、生きられる
生真面目な困った人たち
真面目などということは、信用できない
やりたいことを「とことんやった」人は満足する
楽しめれば、人生は楽になる
我慢している子は、我慢しない子を許せない
憎しみを乗り越えられれば、人望が得られる
真に偉大な人
第2章 五歳児の大人は、五歳児の愛を求める
人を愛する能力が問われている
本当にしたいことをすれば、燃え尽きない
心理的に健康な大人は、いざという時に強い
子育て中の母親のノイローゼ
生きることが辛い父親たちのジレンマ
五歳児の大人は五歳児の愛を求めている
五歳児の男性は、無条件に頼れる女性を探している
五歳児の大人が望む五つの条件
最近の日本の親は、五歳児の大人が多い
「良い子」はおなかがすいている
本質的な不満を抱えて心の底から笑うことはできない
私の父親の場合
子育ては、喜び?それとも?
第3章 五歳児の大人が自立する時の苦しみ
誰かに依存てきない時、辛くなる
愛情豊かな親が魔術的助け手になる
自由に生きてゆけるか
たよりながら、賞賛はされたい
トラブルはあなたの価値を下げない
ひきこもりが生まれる背景
心理的にまったく別の世界にすむ二人の営業マン
「この道でよかった」
他人まかせではなく、自分で選びとる
第4章 「母なるもの」にしがみつきたい
人はみな安らぎを求めている
「母なるもの」を常軌を逸して希望する
生きる楽しみを教えてくれる「母なるもの」
「美味しいね」「気持ちいい?」
「失われた楽園」を経験できた子は幸せ
心理的負担に苦しむ人と苦しまない人
目的があれば、負担を背負うことができる
親子の役割が逆転する時
子育ての責任は、荷が重すぎる?
社会的年齢は同じでも、心理的年齢はまちまち
恵まれているのに辛いのは、心が満足していないから
「俺の責任ではない」が私の父親の本音
心理的には五歳の幼児なのに、六人の子どもの父親になる
愛されないで育った人の悲劇
武装強盗を働いたアメリカの若者の言い分
「母なるものへの願望」が満たされない人
第5章 五歳児の大人たちと「心の支え」
不利な環境で育っても、人は幸せになれる
五歳児の大人を救う三つの条件
愛する人がいれば、戦うことができる
愛する人のために努力しよう
憎しみを持ったら人の幸福は願えない
人は愛されないと心理的に成長できない
少子化は制度の問題では解決できない
周囲を嫌うと生きる辛さが増してくる
幸せになる第一歩は、周囲の人の好意を期待しないこと
嫌いな人とは、距離をおく
甘えられなかった人は、必ず別の人に甘える
今、覚悟を決める時である
真に生きるとは、自分が生きること
五歳児の大人だったカルト集団の教祖
幼稚さを認める勇気を持とう
なぜ彼らは集団で自殺したのか
第6章 自分と向き合えば、生き方が変わる
まず、自分に欠けているものを知ること
生きることを楽しんでいる人の生活を見習う
外見を取り繕わず、今の自分に自信を持つ
今、生きていることが素晴らしい
「水を飲みて笑う人」になりたかった私
「雨が降ったら濡れればいいさ」
半分水が入ったコップのこと
「過去に釘付け」されないために
私は五歳児の大人だった
生きる決断を下すこと。そこに真の自由が生まれる
生きるのが楽になる時
あとがき
感想・備忘
大人になる準備もなしに、身体だけ大きくなってしまった幼児、つまり五歳児の大人が、今の日本にはたくさんいる。そして、心理的には幼児なのに社会的には責任ある立場に立たされて、生きるのが辛くなっている。
私自身、昔は五歳児の大人で、生きることが辛かった。そこで五歳児の大人がこの本を読んで、自分は何でこんなに苛立ち、焦燥し、苦しんでいるのかを理解してもらえればと思っている。それと同時に、この五歳児の大人に苦しめられている周囲にいる人たちに、「なぜ彼らがこれほど困った人間なのか」を理解してもらえれば、その人たちにも少しは救いになるのではないかと思って、この本を書いた。本書「はしがき」より抜粋
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カバーより
早稲田大学名誉教授で社会心理学者の加藤諦三氏が、2000年10月にPHP研究所より出版した『「五歳児の大人」とそのまわりの人のための心理学』が改題されたものになります。
氏はニッポン放送系ラジオ番組「テレフォン人生相談」で40年以上パーソナリティを務められているそうなのですが、私は車を運転しないこともありラジオを聴く習慣も無かったので存じ上げず、たまたま観たR25の以下の動画で知りました。
「人間関係が深まらないし、長続きしない」新R25編集長“最大の悩み”を人生相談1万件超のレジェンド・加藤諦三さんに相談 - 新R25チャンネル(2024/12/15)
この動画や関連動画を観たところめちゃくちゃ刺さってしまい、年末年始の休暇に入ることもあったので本書と、『やさしさを「強さ」に変える心理学』の2冊をとりあえず購入しました。後者はこのレビューを書いている時点でまだ読んでいない状態です。
…というのが2024/12/31にレビューを書きだした時の状態だったのですが、書いているときに「この人はどうしてこういうことを考えるようになって、この結果に至ったのだろう…」と加藤氏の背景が気になってしまい、もう少し詳しく書いていないか…と『愛されなかった時どう生きるか』という著書を電子書籍で追加購入して読みました。
結果的には求めているほどその点について同書には書かれておらず、ネット上に転がっていたインタビュー記事や人生相談動画を見て拾ってきた部分も多いですが、この本の内容もレビューに加味していこうと思います。
加藤氏は昭和13(1938)年生まれの御年86歳。
祖父は明治~昭和初期の政治家で、大東文化学院の第7代総長も歴任した加藤政之助氏です。
この政之助氏もよく知らなかったのですが、立憲改進党に所属し1881年の開拓使官有物払下げ事件にも政府に対し反対の立場を取っていたということで、四将軍をもっと掘っていったら接点が出てくるかもですね。
この祖父と、祖父を支えること(政治家として当選すること)を最優先としていた祖母の間に生まれたのが、加藤氏の父でした。両親が家庭をあまり顧みず、いわゆる愛情飢餓感の強いなか育てられた父は、本書でいう「五歳児の大人」でありました。
たとえば、私の父親などは、息子の私からすれば許しがたい存在である。絶対に許せない存在である。しかし、父親の立場に立てば、様相はまったく違ってくる。
父親の立場からすれば、産まれながら、父親からも母親からも愛されず、自分は愛情欲求が激しい人間として、若い頃から欲求不満の塊となった。しかしそれは「俺の責任ではない、そのような親のもとに生まれてしまったのだ」ということになる。
そしてさらに追い討ちをかけるように、不幸な結婚が続いた。愛に無関心な女と結婚してしまった。「それはお前の責任だろうといわれるが、もし自分が少しでも親から愛されていたら、あれほど淋しくはなくて、あんな女に引っ掛からなかった」と言える。そしてこともあろうに、六人も子どもが生まれてしまった。
父親の側から言わせれば、「心の葛藤があまりにも激しく、自分がひとり生きていくのさえできない心理状態なのに、俺は父親になってしまった」のである。父親にしてみれば、この状態はとんでもない状態である。子どもなどいないほうがよい。本音としては、子どもは捨てたいが、社会的制約から捨てられない。p135-136
この父親に育てられた加藤氏は、「実際の自分を父から拒絶されながらも、私は父に受け入れてもらおうともがき苦しんだ。そして自分でも実際の自分を拒否し、受け入れてもらえる自分を父の前に示そうとした。実際の自分と「あるべき自分」との葛藤こそが私の神経症的不安のもとにあったものである(『愛されなかった時どう生きるか』 自分を愛しぬく p29-30)」と、父の求める”よいこ”であろうとし、実際に”よいこ”であったといいます。
先述の通り祖父は政治家、父は「大学を卒業して、祖父のコネで文部省(当時)に勤めた」(本書p73)という、外から見るとエリートで裕福そうな家庭であった氏ですが、”よいこ”であろうとしたことはストレスのかかることで、父同様、愛情飢餓感を強めるものだったのでしょう。
自分は食べることもできるし、着るものもあるし、住む家もあるのに、どうして毎日がこんなにも辛いのだろう、と思った。自分で自分を持て余していたから、「水を飲みて笑う人あり」という格言を座右の銘にしていたのである。
この地上には飢えて死んでいく人がいるのに、食べる心配のない自分が不幸であったら罰が当たる、と私は思っていた。そして、食べる心配のない自分は幸せになれる「はず」だ、と自分に言い聞かせていたのである。
しかし、世の中を見ていると、環境的に恵まれている人が必ずしも幸せに生活しているわけでもなく、経済的に恵まれていない人が、必ずしも不幸な様子でもない。優秀で社会的に成功した人が必ずしも幸せそうでもないし、逆に社会的に成功していない人が必ずしも不愉快そうに生活しているわけでもない。
そこで、次第に私の関心は「人間の悩みの本質は何か」ということになっていった。p208-209
BSフジで放送されていたドキュメンタリー「その時、私は」(2013/1/11)で、中学校の頃、お風呂から出たときに「人間が生きるとはどういうことなのかなぁ」と考えた、夜に部屋でそう考えたことを鮮明に覚えている、と氏が答えていました。
厳密には、「中学生の頃だったかなぁ」ということだったので時期は前後あるでしょうが、思春期の頃に氏はそういうことを考え始めていたようです。
父親が、「俺一人が働かなければならないことはないんだ、明日からみんな働きに出ろ!」と幼い家族にまで叫んだのは、父親の憎しみの叫びである。人を愛せないナルシストは、自分のために働くのはいいが、人のために働くのは地獄にように辛いのである。
人は、働いているから奴隷と感じるわけではない。愛する人がいないから、自分が働いていると奴隷に感じるのである。ナルシストは、自分の利益のために働いていれば幸せである。心理的に成長した人は、愛する人のために働いていると幸せである。p156
本書を読んでいて、私が一番ハッとしたのはこのくだりでした。
私が本書を読んだあとに、「この人はどうしてこういうことを考えるようになって、この結果に至ったのだろう…」と、もっと知りたいと思ったのはこの一文があったからです。
結果的には、私も五歳児の大人だった(今もかもしれない)のですが、小学校高学年か中学生くらいの頃に、父親に「お前たちが俺に何をしてくれるっていうんだ」と言われたことがあるのです。
どこかの過去記事で書いたことがあるかもしれませんが、私は父とは高校卒業する歳になるまで雑談というものをしたことがなく、もっというと母とも雑談という雑談をしたことがありませんでした。
今になるとわかるのですが、母は仕事だとどうか分かりませんが、家庭では典型的な言葉のキャッチボールができない人で「XXで悩んでいる、どうしたらいいんだろう」というような話を私がしても、「お母さん最近ね、」という切り返しをしてくるタイプでした。
なので、私自身が人の心を読めずに一方的に自己主張していた小さい頃はよかったのですが、さすがに小学校高学年くらいになってくると人間らしくなってくるので、「あ、これ話をきいてもらえてないんだな」というのが分かってくるわけです。「明日授業参観があります」とか、「明日〇〇ちゃんが遊びにきます」とか、そういう事務的な会話はできるけれど、コミュニケーションという意味での”会話”はできない。そんな母と、単純に仕事が忙しくて家にいなかった父はかなりの頻度で喧嘩をしていました。
夫婦喧嘩を子どもの前でするなという話がありますが、それの理由は単純で、子どもが「こんなに仲が悪い人たちの間から生まれた自分たちは何なんだろう」と思うからじゃないか、と思います。
そうしてある日、大喧嘩したあとの父親から上述の言葉を言われたあとに、私も氏のように考えました。いったいなんで自分は生きているんだろう、と。「何をしてくれるんだ」ということは、生きているだけでは、親は自分の存在を「良し」としてくれない、ということと思ったからです。私の話を聞いてくれない、理解しようとしてくれないのも、私自身には親は興味がないからだ、と。
興味がない、というのは「これがやりたい」とか「これが好き」ということが、経済的な理由で上限越えていなければ基本的には放任されていたので、結果的には私にとっては良かった部分もあるのです。
なのでむしろ、卒業式の件の通り、いることできっと両親にとっては足かせなんだろうなという気持ちもありました。「【読書記録】やりたいことの見つけかた-89歳、気ままに独学」に書いた通り、私は小さい頃に非常に体が弱かったので、お金も時間も周りの子に比べてかけてもらったという事実もあるし、食べるものにも着るものにも困っていない。親も朝から晩まで一生懸命働いているのを知っている。だから、愛してくれていないわけではない、と思っていたのです。
これが一貫して冷たかったり、育児放棄をされていたら、もっと純粋に親を嫌いになっていたんだろうと思います。でも加藤氏の父親がそうだったように、私の両親も、冷たいときもあれば本当にやさしい時もあったのです。だから嫌いになれなかった。
加えて、私は保育園から高校まで、不思議なことに仲の良い友人の父親がいない率がものすごく高く(離婚や死別など)、その子たちの手前、「両親がそろっている自分が、両親が離婚したらいいのになんて考えるのはよろしくない」と思っていました。彼女たちが持っていなくてさみしい、と感じていることや、そのことで受けたなにかがあったということは理解しています。だからこそ、よろしくないと思っていた。
でも本音では、夫婦喧嘩のない家庭で、母親から愛されて育っているのが心底羨ましかった。母の機嫌が悪くならないように、母の癇癪が起きないように気を使いながら過ごすのではなく、「実家に帰ったら安心する~」というような気持ちを味わってみたかった。だから、毎回夫婦喧嘩が始まるたびに「離婚してくれたらいいのに。一緒にいて喧嘩するなら別れてくれたらいいのに」と思ってしまった。
ずっと忘れられないのが、中学校の頃に、仲の良かった子が家出(反抗的というより彼女の過程でも色々あった)をして、夜に「今日泊めてくれないか」というメールが来たのです。ところが、その日まさに夫婦喧嘩が勃発していて私もトイレにすらいけず自分の部屋で兄弟と嵐が収まるのを待っていた時で、「ごめん、親がちょっと…」と断ったのでした。結局その子は別の友人のところに泊めてもらったので良かったのですが、私の信用は無くなって疎遠になっていきました。それはそうだ…。
ただ、小学生の頃に別の友人が遊びに来ていた時に、問答無用で両親の夫婦喧嘩が勃発したことがあり、その時の友達から「こいつんち遊び行ったら親が喧嘩しだしてわろたww」みたいな事実(事実)を、小学生がゆえに友人間で言われたことがあって死ぬほど子ども心に辛かったので、またあの思いしたくないし、というかこんな空間に泊まりにきたほうが相手気まずいだろう…(お風呂もトイレもいけないぞ…)みたいな感じだったので、しょうがないよね、しかない。
五歳児の大人は、生きるのが辛くなって、現実の母親ではない母親に向かって「おかーさん、お願ーい、助けてー」と心の中で叫ぶ。その時の「おかーさーん」が宗教である。
人が苦しい時、「おかーさーん」と叫べれば、人を憎むことも恨むこともなく生きていかれる。辛い時に、そう叫べないから、人は何か嫌なことがあると、「学校が悪い、社会が悪い、先生が悪い、親が悪い、子どもが悪い、やつらが悪い、上司が悪い、同僚が悪い」と他人を責めなければならないのである。
耐えられないほど苦しい時にも、人が生きていくためには、それでも耐えなければならない。だから耐え難きを耐える時に、「やつらが悪い」と彼らを責めることで耐え抜こうとするのである。生きるのが辛い五歳児の大人は、心の底でいつも誰かを責めている。
五歳児の大人の特徴は、「生きるのが辛い」ということと、心の底の憎しみである。p179
親も親でなんだかんだいまだ夫婦を続けていて、子育てが終わったことで働き方も変わり喧嘩することもほぼ無くなりました。
私も私で、人生のなかで両親と暮らした時間よりも、それ以外の時間のほうが多くなるくらいには生きてきたし、その中で当時は分からなかったけれど理解できるようになったことや、自分の言動も振り返ったりコントロールすることができるようになってきたので、余計に本書を読んでいてグサグサと刺さるものがありました。
極言すれば、愛されないで育った人は、社会の中で生きていくことが許されないのである。しかし、事実としては生きていかなければならない。それも、その年齢その年齢に相応しい社会的な期待をかけられながら、それに応えて生きていかなければならない。愛されないで育った者は、ハンディキャップなどという言葉では表現できないほど巨大なハンディキャップを背負って生きているのである。
p142-143
愛は目に見えないからこそ分かりづらい、的なことが本書にも書かれています。
鬱や精神疾患にかかった人を説明するときにも似たようなことが言われますね。足を骨折していたら病院に行け、会社を休めと言われるんだから、心を骨折していたら同じでしょう、と。
私も近年メンタルを病んだので痛いほど理解しているけれど、愛情飢餓感も同様で、まずはその状態を受け入れる→適切に治療するが大事なのは間違いないのですが、いったん健康になったあとに重要なのは、「そこから先どうするか」だと思います。
この時、根本的問題が解決できていない場合に出てきがちなのが、「俺はこれだけ頑張ったんだからお前も頑張れよ!(頑張れるはずだ)」みたいなやつです。
五歳児の大人の性格的特徴の第二は、他人の弱点を許せないで、協調性がないということである。
毎朝、早く会社に来て、掃除をしているサラリーマンがいるとする。掃除をしたいわけではない。イヤだけれどそうしている。そういうサラリーマンは、会社に遅れてくる新入社員を許さない。p33-34
そうして辛い思いに耐えて生きてきた人々が、安易さに流されて努力しない人を認めたら、自分の今までの生き方、自分の価値、自分の存在そのものを否定することになる。それを、何かの力に負けて認めさせられたら、どうしようもなく無気力になる。
若い頃から、刻苦勉励して生きてきて、社会的に成功した人が超保守主義に傾くのは、当然というか自然なのである。「お前たちは、俺のように辛い努力をしなかったではないか」ということである。そして、何よりも、辛い努力をしないで安易に生きてきた人が嫌いなのである。許せないのである。p36
いやこれめっちゃわかる…と天を仰いでしまいました。
似たような話で、ナカモトフウフというYouTuberさんが好きで観ているのですが、この夫さんのほうがADHDで「ADHDである俺ができているんだから、その俺より優れているはずのあなたはできるはずだ!的な思考がある」って言っていてこれも首もげるほど頷いてしまった。
加藤氏の言っていることとADHDの件は同一のものではないのですが、劣等感(飢餓感)があるからこそ、無い(ようにみえる)人たちに対して厳しくなるの、実体験としてはすごく同感してしまいました。これが結局悪循環で、加藤氏の父と若い頃の加藤氏のような負のループを産んでしまうのですよね。
釈迦が人間の苦しみとして挙げた四苦(生老病死)のなかに、「生」が入っているのが私は大好きなのですが、生きることは「苦」だと思うのです。だからこそ、人間は自分で「どう生きるか」を考えて、決めて、その苦しみから逃れようとするのだと思います。
全自動ではその苦しみからは逃れられない。「自分で」何とかしなければならないのです。
だから、父親が自分に与えてくれなかったように、自分が世の中から許されなかったように、誰かもまた与えられず、許されず、それでも頑張るべきである…と氏が言わず、自分は苦しかった、与えられなかった、悲しかった、というのを受け入れたうえで、自分でその負のループを抜け出していくしかない。
飢餓を誰かに埋めてもらってから抜け出すのではなく、埋めてもらえなくても抜け出す決断をするのだと説いています。
しかし、それでもあえて五歳児のあなたに問いたい。過去に囚われて塩の柱となるか、過去を栄光化して現在に生きるか。かつて五歳児の大人であった私は、それでも「今に生きる」決心をした。
五歳児のあなたは、何度も「今に生きる」と書くのだ。自分が納得するまで「今に生きる」と書くのだ。自分の恵まれない過去に囚われ続けて、今を犠牲にしてはいけない。p225-226
それはあなたの決断である。それこそが生きるか死ぬかの、五歳児の大人の決断である。自然は五歳児の大人の決断を待っている。それが人間の自由というものなのである。自由とは、したいことをすることではない。
生きるか死ぬかの時に決断できることを人間の自由と言う。あなたが決められる。
その決断をしない限り、今まで不幸に生涯を終わった人と同じことをくり返すだろう。人間の自由とは、どこまでその憎しみを乗り越えられたか、ということである。p226-227
ここで氏が「過去を栄光化して」と言っているのがいいですね。
悲劇のヒロインになれ的な、自分に酔っているんだぞ、という自覚を忘れるな的なニュアンスが、5歳児にちゃんと大人になることを促していて、良い。
だからこそなのでしょう、私は氏の書籍を読んでいて出てくる氏のエピソード(『愛されなかった時どう生きるか』の豪邸のやつとか)に、「わたしはこんなにつらい思いをしたのだ!!かわいそうでしょう!!!かわいそうといって愛して!!」みたいな飢餓感を感じません。氏はもうループを抜け出して、「今」をきちんと生きておられるから、著書の文字は私のような若造がなぞっていける、ただの氏の足跡になっている気がします。
「生」が苦だからこそ、私はその苦しい中からどうやってその人が立ち上がっていったか…というのを見る(知る)のが好きです。その時の考え方や物事の捉え方に、まったく違う人生を生きている自分にとってのヒントがみえるので。
省略しますが、本書に書かれていた「五歳児の大人を救う三つの条件」、私がループから抜け出せたのはまさにこの3つだったなと思いました。
この3つは大好きな「一日一生」と、最近読んだ「やりたいことの見つけかた」に通じてくるので、突き詰めると結局そういうことなのだろうな、と思います。
あとは、「その時、私は」で著者が、東大では認めてもらえなかった自分の著書があったおかげで、ハーバートに行くことができたということを語られていたように、自分を認めてくれる人に出会うということかな、と。私は人に恵まれていたなとしみじみ思うので、縁が続いていなかったとしてもその時その時出会った方々には感謝しています。
氏の出ているYouTubeの動画のコメントをみていると、「救われた」という多くの人が様々なコメントを書いており、それもまた面白いですね。
世界一IQの高い女性として有名なマリリン・ボス・サバント氏が、1986年から地方紙のコラム「マリリンに聞く (Ask Marilyn)」を連載し購読者の質問に答え続けていたように、加藤氏もテレフォン人生相談で今後もまだまだ人々の悩みに答えていくのでしょう。
本書の末尾を締めていたこの言葉がとても良かったです。
私もそうあれるように精進していこうと思いました。
「あの人は幸せだ、なんで私だけが……」が五歳児の大人である。「あの人は幸せだ、私も幸せになろう」が心理的に健康な大人である。
p234
印象に残ったところ
将たる器とは、感情的、心理的にどんなに辛くても憎しみを乗り越えられる人である。「許せない」という感情を乗り越えられる人である。
p39
今の親は、本当は心理的な負担に耐えられないのに、それを経済的負担が耐えられないと嘘をついている。自分にも他人にも嘘をついている。経済的問題が大きすぎるからではなく、子どもがそこまで好きでなくなったということが問題なのである。
p167
自分の目的を持って生きる人には、負担を背負う力がある。だから、自分の目的を持っている人は、表面的に見て「負担の多い生活」でも満足できる。つまり、自分の目的を持って生きることだけが救いであるということだろう。
生きるのが辛いのは、「これ」というものがないからである。「これ」というものがあれば、食べられなくても辛くない。自分の目的を持てば、心理的な負担は少なくなる。人は、自分の生きる場所を自分でつくるしかない、ということである。
五歳児の大人にはこれ」というものがない。五歳児の大人には自分の目的がない。
p118-119
人は、何かを愛することができれば、生きることの苦しみから救われる。その愛するもののために働くことは、苦しみではない。その愛するものを守るために戦うことができる。しかし、嫌いなもののために働くことは、地獄である。同じ働いていても、その意味は天国と地獄の違いがある。
p154-155
人が燃え尽きるのは、努力が報われないからである。生きることが楽しくなく、辛いだけだからである。仕事がハードでも、仕事が面白ければ燃え尽きない。家族や会社を愛していれば、人は燃え尽きない。燃え尽きる人は、仕事が嫌いだった。そして周囲の人も嫌いだった。
p158
人は、憎しみを持ったら人の幸せを願えない。人が幸せであることで自分も幸せになるということはできない。人が幸せである環境が自分の苦しみの原因になる。
しかし愛する能力を持っている人は、自分の愛する人が幸せであることで、自分も幸せになる。同じ人の幸せが、自分の苦しみの原因ともなれば、自分の幸せの源ともある。
p162
その点で、今の時代は物質窮乏型の時代とは幸せの考え方が基本的に違ってきている。物質窮乏型の時代には、貧乏は不幸なことであったかもしれない。そもそも、生きていくこと自体ができなかった。今の時代、不幸なのは、お金のない人ではない。五歳児の大人たちである。
p164
今の少子化時代の原因は、人々が心理的成長に躓いたからである。
p165
今の時代は、人は愛がなければ育たない、という原点を忘れた発想が多すぎる。
p166
生きるのが辛い、辛いと騒いでいる人は、多くの場合、周囲の人が嫌いなのである。そして、嫌いな人のために働いているのである。
p168
愛されないで育った人は、坂道を転がるようにして地獄に落ちていく。坂道を転がり落ちないためにはどうすればいいか。途中で踏み止まるためにはどうすればいいか。
まず第一に、孤独を覚悟することである。周囲の人から好意を期待しないことである。周囲の人の好意を期待して何かをしないことである。一人になること、そのほうがいい。そうすれば自分にやさしくなれる。今は怯えていて自分にやさしくなる余裕もない。
p172
どう子どもを育てていいか分からない。その時に三つに分かれる。一つは、「どうせ自分はダメな父親だ」と無気力になる父親。もう一つは、分かろうと努力する父親。最後に、「大切なのは真実だ!」と叫んで子育てや家事などの俗世を蔑視する父親。その極端なかたちがカルト集団である。
p182
つまり、社会の中で生きながら、社会的責任を果たすことが嫌だった。子育てが辛かった。家の仕事は嫌だった。社会の中で普通に人と付き合うことは辛かった。年老いた親の世話は辛かった。その年齢に相応しい社会的責任を果たすことは、彼らの心理的成長からすれば辛すぎたのである。そして、自分は社会的責任を果たすのが嫌だ、ということを認めることを拒否して、神につかえると言い出した。教祖は地球がリサイクルされると言い出した。
p182-183
彼は、自分が楽だからそれをしているということを認められなかった。カルト集団の奇妙な理屈を主張する。しかし現実を拒否すれば、最後は行き詰まる。それで自殺の道づれにしたのが三十八人である。そこにいた人々は、みなすでに社会人であるが、みな社会的責任を果たすのが嫌な人たちである。
しかも「自分は社会的責任を果たすのが嫌だ」というように認めることを拒否した人々である。子育てが辛くて嫌だ、と認められない人々である。一軒家を維持していくためには、さまざまな仕事があるが、その家の仕事をするのが嫌だった。たとえば、庭の草むしりや掃除が嫌だった。それなのに、イヤだからしない、と言えない人々であった。p183-184
五歳児の大人にとって、たとえば子育てと年取った親の世話は、大変な重荷である。もし心が触れ合わないならば、それをしたくない。それをすることは地獄である。だからこのカルト集団は、血縁を否定する。自分たちの無責任を、神の名前を持ち出して正当化する。
自分たちは無責任で家族を捨てるのではなく、真実を求めているのだと、自分たちの無責任な行動を合理化する。子供を捨てたと認めないで、真実を求めたと言う。このヘブンズゲイトという宗教の隠れたる真の動機は、「責任の重荷から逃げたい」ということである。p184
唯一、彼が次のことを認められれば、彼も子どもも孫も、関係者みなが救われたのである。それは彼が「ごめんね、お父さんは父親になるだけに成長していなかったんだ」と子どもに言うことである。言えなくても認めることである。そして食べ物をしっかり摂取し、興味から出発し、さまざまなものに触れる体験をすれば、三十八人を道づれに死ななくてもよかっただろう。
p189-190
彼らは社会に人一倍受け入れてもらいたかった。人一倍認めてもらいたかった。だからこそ、世の中の人にむかって「あなたたちは間違っている」と言い残して死んでいったのである。
自分を受け入れない社会を、どうしても自分が受け入れることができなかったのである。そこまで社秋に受け入れてもらいたかったのはなぜか。それは、彼らが自分を取り巻く社会から受け入れてもらっていない、と感じていたからである。孤独だったのである。そのことに深く深く傷ついていた。
p193
弱さとは淋しさである。孤独感である。孤独な人はずるい人に利用される。
p198
私が言いたいのは、五歳児の大人は、「自分は立派ではあったけれども、人のためには何もしていなかったな」ということにも気がつくに違いない、ということである。自分が誉められるために立派な行動をしたり、立派なことを言っていたけれども、人のために「覚悟を決めて」何かをしたことがない。
そのようなことに気がついてくるにしたがって、五歳児の大人も自分が理解でき、何をしたらいいのかも分かってくる。
p201
肉体的弱者や社会的弱者に対しては、政府が保護を考えることはあるが、五歳児の大人のように心理的弱者に対しては、政府は冷たい。世の中は心理的弱者に対しては冷たい。足の不自由な人に「俺と同じに歩けるはずだ」と相手を責めることはしないが、心理的弱者にはこれをする。
心理的弱者か心理的弱者のふりをしているにすぎない人間かは、努力をしているか、していないかで分かる。心理的弱者は必ず努力する。努力しない心理的弱者はいない。努力しないということは、心理的弱者ではないということである。周囲の人を操作するような、ずうずうしい人は努力をしない。
p204-205
もともと愛情豊かな家に生まれた人と、あなたはスタートの時点から違っていた。それを今日まで立派に生きてきた。あなたは今、生きていることに自信を持っていい。どのような心の状態であろうと、自分は素晴らしいのだと自信を持っていい。
p205
五歳児の大人には生きる土壌がない。心理的に健康な大人は土の中にしっかりとした根を張っている。五歳児の大人は、小さい頃からその場で効果の見えることだけをして、時間をかけて自然に身につけたものがない。五歳児の大人は、土の中に深く根を張るということをしていないのである。
p213
ところが人間というものは、お互いに相手は自分と同じだと思っているし、何をしていても同じことをしていると思っている。しかし事実としては同じことをしていても、実は心理的にはお互いに違ったことをしているのである。
p216
これまでに述べたように、五歳児の大人は「母なるもの」に接することなく成長している。その結果、心の底に憎しみを持っている。この憎しみの感情を処理することが、五歳児の大人の最大の課題である。
p217
おそらく、不満とか劣等感とか孤独感というのは、憎しみから生まれ、心理的成長の失敗から深刻化するものなのだろう。
不満な人というのは、おそらく傷つけられた人である。憎しみの人である。不満な人は憎しみを取りのぞかなければ、いつになっても幸せにはなれない。憎しみが不満の色眼鏡なのである。
p220-221
ある人を「乗り越える」とは、その人に対する憎しみを消せた、ということである。自分を傷つけた人を本当に「乗り越えた」というのは、その人への憎しみを自分の中から消せたということである。
p221
人は、憎しみがあったらやさしい人間にはなれない。憎しみの原因は、心の傷である。傷つけられても憎しみを持たないようにするのは、肉体が傷ついて血が流れているのに、痛くないと思い込もうとしていても無理なのと同じである。
傷つけられたから、相手を傷つけようとして傲慢になり、人々より優越しようとする。優越が喜びになる。優越しようとする人間は傷ついているのである。
優越しようという気持ちが、「ささやかな喜び」と味わいつつ幸せな生活を送る生き方を破壊するのである。
p224-225
私は人に好かれることに気を遣い、人からの軽蔑を恐れ、自分を主張できなかった。やがて、手探りの中からわずかな光明を見つけた。それは「自分と向き合う」ことができるようになってからだった。
p230
本当は自分のわがままを通そうとしているのだが、わがままとは思われたくない。そこで表面は立派なことを言っている。当然、生きるのは辛くなる。そしてわがままが通らないと周囲の人を責める。
そうした責任転嫁をしていても、生きることはいつになっても楽にならない。むしろ、自分はわがままを通そうとしているのだと分かることが幸せに通じる道なのである。
五歳児の大人は、自分はわがままではないようなふりをしてわがままに生きようとしている。だから辛くなるのである。
p231-232
書籍など
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