平安・鎌倉歴史ネタ

【平安後期】堀河天皇に関する備忘録~讃岐典侍日記で回想される名君~

堀河天皇の典侍を務めた讃岐典侍日記という本を先日読み、レビューをブクログで書きました。前後の天皇たちが濃すぎるため隠れてしまいがちですが、賢帝としての評価も高い堀河天皇。自分用に備忘録です。

心温まった、堀河天皇の人柄が知れるエピソードを、孫引きになってしまいますが…、日本の歴史 6巻より。

鎌倉時代に伝わった話を集めた『続古事談』に、
「堀川院は末代きっての賢王である。なかでも天下の政務にことに御意をそそがれた。臣下から呈上する官位の申請書を手もとに召しよせて、御夜居(夜の休み時間)に重ねてこまかに御覧になって、所々にはさげがみ(付箋)をつけて、このことを尋ねよ、このこと重ねて問うべし、とみずから書きつけて次の日の職事(当番の公卿)にくだされた。一返(一通り)こまかに御覧になることでさえなかなか行われにくい時世であるのに、重ねて御覧じて、それほどまでの沙汰があった。まことにもったいないことだ」
と伝えている。そればかりでなく、延臣も天皇に心服したことは想像以上なものがあった。保元の乱の張本人となった左大臣藤原頼長が、その日記『台記』康治二年(一一四三)七月二十四日の条に記している権大納言藤原宗輔の話は、その一端を示して興味ふかい。
「堀河天皇に仕えた滝口に定国というものがあった。堀河天皇の崩後、天皇をお慕いして、いつも自分(宗輔)の家にきて天皇御在世中のことを話していた。あるとき『天皇は竜王となって北海におられる。自分もそこへ詣ろうと思う』といっていた。しばらくして定国は、子の定明に一通の手紙を自分のもとにとどけさせた。みると、『先日申したごとく、これから堀河院の御在所に参ります。もし院にお目にかかったならば、あなたがいつも院を追慕しておられることを申し上げましょう。この手紙を持参しました定明は、かねてから滝口[の武士]になりたいと望んでいますので、よろしくおとりなしを願い上げます』とあった。自分は思わず哭泣いた。さて事情をたずねると、定明が申すには『父定国は、美作国に下向して、そこで出家してのち、一年ほどして竜頭の舟を造ってこれに乗り、帆をかけて、南風のはげしいときを待って北に向かって走り去りました。わたくしたちはその日を忌日としています』と」
これは伝説ではない。堀河天皇の人望を示す実話である。

日本の歴史 6巻 -武士の登場-  p344-345

慕われすぎです…。
これを見たとき、最初「作り話だろうなー」と思っていたのですが、今回讃岐典侍日記を読んでいたら全くブレずにこれを示すような人柄で、そのままではないでしょうが、やはりこういった話があった天皇だったんだと思います。

 

御とのごもりぬる御けしきなれど、われはただまもりまゐらせて、おどろかせたまふらんに、「みな寝入りて」とおぼしめさば、ものおそろしくぞおぼしめす、「ありつるまおなじさまにてありけるとも御覧ぜられん」と思ひて、見まゐらすれば、御目弱げにて御覧じあはせて、
「いかに、かくは寝ぬぞ」
と仰せらるれば、「御覧じ知るなめり」と思ふも、堪へがたくあはれにて、(略)

讃岐典侍日記 p31

※同書による意訳
おやすみになったご様子だけれど、わたしだけはただじっと見まもってさしあげよう、お目ざめになったようなとき、「みな寝入っている」とお思いになったら、さぞものおそろしくお思いだろう、「さっきと同じ姿でみとっていてくれたと、せめてご覧いただこう」と思って、お顔を拝すると、弱々しい視線で、わたしの目をご覧になって、
「なぜいつまでも寝ないの」
とおっしゃるので、「私の心をお見抜きになったのかしら」と思うにつけても、こらえきれず悲しくて、(略)

 

 

「せめて苦しくおぼゆるに、かくしてこころみん。やすまりやする」
と仰せられて、御枕上なるしるしの箱を、御胸の上に置かせたまひたれば、まことに、「いかに堪へさせたまふらん」と見ゆるまで、御胸のゆるさまぞ、ことのほかに見えさせたまふ。御息もたえだえなるさまにてきこゆ。

讃岐典侍日記 p33

※同書による意訳
「どうも苦しくてたまらないから、こうしてためしてみよう。楽になるかな」
とおっしゃって、枕もとの神璽の箱をお胸の上に置かせなさると、ほんとうに「どれだけこらえていらっしゃることか」と思うほど、お胸のはげしく揺れるさまは、格別にお見えになる。呼吸の音もたえだてなように聞こえる。

 

優しさや、一個の人間としての姿が伝わってくる内容です。
あとは、この本に出てくる幼少期の鳥羽帝が可愛くて可愛くて…!!

走りおはしまして、顔のもとにさし寄りて、
「たれぞ、こは」と仰せらるれば、人々、
「堀河院の御乳母子ぞかし」と申せば、まこととおぼしたり。ことのほかに、見まゐらせしほどよりは、おとなしくならせたまひにけりと見ゆ。
一昨年のことぞかし、参らせたまひて、弘徽殿におはしまいしに、この御かたにわたらせたまひしかば、しばしばかりありて、
「今は、さは、帰らせたまひね。日の暮れぬさきに、頭けづらん」
と、そそのかしまゐらせたまひしかば、
「今しばし、さぶらはばや」と仰せられたりしぞ、いみじうをかしげに思ひまゐらせたまへりしなど、ただ今の心地して、かきくらす心地す。

讃岐典侍日記 p124-125

※同書による意訳
帝が走っていらっしゃって、わたしの顔のすぐそばに寄られて、
「だれだ、これは」とおっしゃる、人々が、
「堀河院の御乳母子ですよ」と申しあげると、ほんとうとお思いになった。前に拝見した時よりは、格段とご成長なさったとお見うけする。
一昨年のことであった、内裏へ参上されて、弘徽殿に滞在なさったが、父帝(故堀河院)の御殿においでになったところ、しばらくして、
「もう、それでは、お帰りなさい。日の暮れぬうちに、髪をとかそうね」
と、父帝がお促しになると、
「もうちょっと、おそばにいたい」とおっしゃった、それを故院はいかにもかわいいとお思いであったことなど、たった今のような気がして、胸がいっぱいになる。

 

「今しばし、さぶらはばや」

可愛い…!!!!!可愛い!!!!
大事なことなので二回いいました。
そのほかにも、堀河帝を懐かしんで涙目になってしまい、「あくびが出てしまいました」という著者に対して、「みんな知っていますよ」「”ほ”の字の”り”文字の人のことを思い出していたのでしょう?」と言ってみたり…。いじらしい…。

ちなみに下巻になるにつれ、堀河帝への回想がどんどん乙女ちっくになっていく著者。思い出は美化されていくのか、それともほんとに堀河帝が素敵すぎなのか…。「長子さん、乙女過ぎですw」と思ったのが、ある雪の日の回想。

滝口の本所の前の透垣などに降り置きたる、見どころある心地して、をりからなればにや、御前の立ちし、せめてのわが心の見なしにや、輝かしきまでに見るに、わが寝くたれの姿、まばゆくおぼえしかば、
「常より見ましきつとめてかな」と申したりしを、をかしげにおぼしめして、
「いつもさぞ見ゆる」
と仰せられて、ほほ笑ませたまひたりし御口つき、向かひまゐらせたる心地するに、五節のをり着たりし、黄なるより紅までにほひたりし紅葉どもに、葡萄染の唐衣とかや着たりし、わが着たる物の色あひ、雪のにほひ、けざけざとこそめでたきに、とみにもえ参らせたまはで御覧ぜしよ。
滝口の本所の雑仕なめり、女の声にて、透垣のもと近くさしいでて、見るけはひして、
「あな、ゆゆしの雪の高さや。いかがせんずる。さをもえ取りゆくまじきはとよ」
と言ひしを聞かせたまひて、
「これ聞け。いみじき大事いで来にたりとこそ思ひあつかひたれ。雪のめでたさ、覚めぬる心地する」
とて、笑はせたまひしなど思ひいだされて、(略)

讃岐典侍日記 p183-184

※同書による意訳
滝口の詰所の前の透垣などに降りたまっているのは、見てもおもしろい気がして、折が折であるためか、院の立ち姿は、胸がいっぱいのわたしの気のせいか、光りかがやくほどなのに対し、自分の寝起き姿がおもはゆかったので、
「ふだんよりも見とれてしまいたい早朝ですこと」と申しあげると、興ありげにお思いになり、
「いつだってそう見えるぞ」
とおっしゃって、微笑なさったお口もと、今も眼前にお向かい申しているような感じがする。その時、わたしは、五節の折に着た、黄色からくれないまで次第に色をぼかした紅葉がさねの上に、えび染の唐衣だったかを着ていたが、わたしの着た衣装の色あいが、雪との対象でくっきりと美しいので、急にも人々をお召しになれずに、ご覧になったのだった。
―と、滝口の詰所の雑仕だろうか、女の声で、透垣のすぐそばに顔を出して、雪を見るらしく、
「まあ、なんとすさまじい雪の積もり方。どうしましょう。棹も取って行けそうにないわ」
と言ったのをお聞きになって、
「あれ、聞いてごらん。一大事が生じたと思い案じている。雪のすばらしさも覚めてしまった感じだな」
とおっしゃって、お笑いになったことなど、思い出されて(略)

 

この日、著者は天皇に「その夜、御かたはらにさぶら」っていたので、朝寝起きで二人で降り積もった雪を見ています。堀河帝が光り輝いて見えてしまっている著者。「みとれてしまいますv」(雪じゃなくて天皇に)と言うと、「いつもだよ」という天皇。オレにはいつも見とれてるでしょ?ってことなのか、オレは君にいつも見惚れているよ、なのか分かりませんが、 ラ ブ ラ ブ … !!

衣装だけなのでしょうかねぇ…「衣装…をきた私☆」をいつまでも見ていた、というノロケにしか聞こえません。堀河天皇のキラキラスマイルを回想していた著者…をこのあと激可愛い鳥羽天皇が現実に戻すのですが、もう日を増すごとに長子さんの回想の堀河帝がかっこよくなっている気がします…。

人を愛する、それは1000年経った今も、なにも変わらないのだなぁ(ノロケも)と、切なくも微笑ましくなってしまう一冊でした。

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コメント

  1. ゆきめ より:

    お久しぶりです。
    素敵ですよねえ。堀河天皇。鳥羽天皇の父・白河と書かれたり、系図で略されたりされているのを見ると本当に悲しくなります。
    あと中右記を読むと本当に堀河天皇が君臣たちに慕われているのがわかります。作者の宗忠さんが個人的に白河天皇よりも堀河天皇の方に親しみを持っていたということを差し引いたとしても。
    讃岐典時侍日記も鳥羽がかわいすぎるw「もう少しおそばにいたいな」とか。堀河さんじゃなくても萌え萌えです。
    「江戸時代に描かれた古代の越後展」も面白そうです。
    でがまた♪

  2. 友月庵(管理人) より:

    ゆきめさんお久しぶりです!
    コメント返しが遅くなり申し訳ありません;;
    最近はネットも落ち気味なのですが、ゆきめさんのブログも久しぶりにお邪魔させていただいたらお話が増えていて嬉しくなってしまいましたvv秋の夜長にゆっくり読ませていただきます~^^
    (作品投稿もされたのですね…!!ゆきめさんのお話がいつか紙媒体で読めるのかー!と思うとワクワクします♪頑張ってくださいっ!)
    ほんとに、前後が濃すぎて系図略されてしまう堀河天皇ですが…素敵ですよねぇ。長子さんになりたいくらいです(笑)中右記は、ちゃんと読んだことがないのですが、堀河天皇ネタが出てくるのですね…!!近いうちにチャレンジしたいです…!!最近めっきり読書量も減っていて悲しい限りなのですが…お勧め本ありましたらぜひまた教えてくださいませ♪
    鳥羽帝、ほんとかわいすぎますよねww保元の乱あたりに想いを巡らせていたあとにこの記述を思い出すと、なんだか笑ってしまいます…ほんと根はピュアな方だなぁ…と思います。
    コメントありがとうございましたー!
    越後展、無事開催されることを祈るかぎりです…!行きたいです!

  3. ゆきめ より:

    中右記の堀河天皇ネタは私もほとんど孫引き情報でしか知らないのですが、堀河天皇の死を悼んで「末の世の賢帝」だったかな、と書かれていた記憶があります。どの本だったか忘れちゃいました。
    小説を読んで下さっているとは!すごいうれしいです。励みになります。
    お勧めの本は保立道久先生の「義経の登場」でしょうか。マニアックな内容なのですが、院政期に詳しければ大丈夫かと。新発見があって楽しいです。閑院流藤原氏や成親について詳細に調べられています。ただ、この本絶版っぽいのですよね。残念。タイトルで損をしているような気がします。実際私は義経本だと思ってスル―してました(^_^;)

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