鳥尾小弥太

【考察】鳥尾小弥太とキリスト教

鳥尾小弥太というと、東洋哲学会、日本国教大道社、保守党中正派の結成に関わったり、大日本茶道学会の初代会長ということで、和というか仏教というか、なんだかお堅いイメージがある気がします。ググるとよく出てくるのは、「国粋主義者」とか「反キリスト教勢力」とか…。

確かに中年期から晩年にかけて反キリスト教姿勢を徹底していたのですが、でも鳥尾は実際、よく言われているようにそんな感情論でひた走る反キリスト教論者だったのでしょうか。
というわけで、それに関してちょっとメモ。

キリスト教側からみた鳥尾小弥太

キリスト教側の研究で、土屋博政氏(英米宗教思想史)の2005年の講演録があるのでそちらをまずはみてみましょう。
マーカーは私がいれたものになります。

特に注目すべきことは、信教の自由に反対していた鳥尾小弥太とナップの出会いです。鳥尾は伊藤博文が憲法の条文に信教の自由を入れようとしました時、条文に信教の自由の項目を書き込めば、長い伝統を持つ仏教と新参者のキリスト教を対等にしてしまうことになるので、それは許せないと激しく対立していました。鳥尾は仏教を基本としながら儒仏耶を同一次元で捉える見方をしておりましたが、反キリスト教の急先鋒に立っておりました。その鳥尾小弥太が、ナップと会って話し合い、その寛容な精神に心動かされ、変化したことです。このことは『慶応義塾大学部の誕生』の14頁にありますナップの手紙の中に記されております(注1)。鳥尾がナップと意気投合したということは、鳥尾が反キリスト教の旗を降ろしたことを意味します。これによって伊藤博文は憲法の条文に信教の自由を心置きなく盛り込むことが出来たのです。後に幸田露伴と共に、ユニテリアン主義の影響を受けた嵯峨の屋御室は、松村友視氏の研究によりますと、この鳥尾の影響でユニテリアン主義を受け容れ、彼も明治23年春に仏教を基盤として仏基の融合を唱えるのです。

注1
『慶應義塾大学部の誕生』,14頁。山口輝臣『明治国家と宗教』(東京大学出版会,1999年)に、キリスト教の扱いに関して伊藤博文たちが鳥尾得庵への対応に苦慮している様子が詳しく記されているが、明治21年6月27日鳥尾がキリスト教を「黙許」でなく、「明許」すると発言したとある。(151、152頁)その心の変化についての詳しい説明はなされていないが、『慶応義塾大学部の誕生』に掲載されるナップの明治21年5月10日のAUA本部へ出した手紙によれば、ナップは鳥尾と会見し、興味を分かち合い、’the emphatic nods of approval which greeted my answers'(私の返答に応じる強い承認の肯き)を得たとある。(英文、訳文ともに15頁)この記述から判断すると、ナップとの出会いによって、鳥尾のキリスト教に対する見方が軟化したと言えるであろう。

日本のユニテリアンの盛衰の歴史を語る/土屋博政 (2005年4月1日同志社大学人文科学研究所においての講演) - KOARA(KeiO Associated Repository of Academic resources)

ナップとは、米国ユニテリアン協会より派遣された宣教師アーサー・ナップ(Arthur Knapp)で、慶應義塾教員を勤めていました。
ここでも鳥尾は「反キリスト教の急先鋒」として書かれ、そしてナップにより「反キリスト教の旗を降ろした」とされています。でも降ろしていないことは、後の彼の経歴を見れば明白ですね。
良いも悪いも、この鳥尾という人は、実際に会って話をすると考えを二転三転させるところがあるので、この時もそうだったのではないかと思います。むしろ彼の性格上、「信教の自由」は認めても、自分はやはりキリスト教にはなじめない、という想いを強くしただけだったんじゃないかなと。

 

鳥尾のキリスト教に対する考え

それではなぜ、鳥尾はキリスト教が日本に広められることをこれほど反対したのでしょうか。
このナップとの出会いより10年程のちに彼が書いた「花園日誌」に、その理由が記されています。

我が耶蘇教を斥くるは、止むを得ぬ事あるなり。彼の宗旨にては、彼の神の外に、神を認むることなし。たとへて云はゝ”、一國に二王なきが如し。故に彼教を信ずる限りは、我國の神を、理非を言はず退け廃す。我國の神を廃する限りは、萬世一系の皇統不可犯の天皇を奉戴せず。即ち西洋の王家、其人民の其王家に對するよりも、其尊敬却て薄かるべし。何となれば、彼徒より見れば、異宗教の王家なり。甚しく言へば、邪宗教の帝王を戴くことゝとなるなればなり。況や是宗の蔓衍は、國民一致の徳を缺ぎ、支離滅裂支ふべからざるに至ること必定なり。

花園日誌 第二十四段

 

花園日記意訳

私がキリスト教を受け入れないのは、止むを得ない理由があるのだ。
かの教えでは、キリスト教が信奉する神以外の「神」を認めていない。例えて言うならば、一つの国に二人の王がいることはないということと同様である。それゆえ、キリスト教を信ずる場合は、我が国の「神」を、是非を問わず退けて廃することになる。
我が国の「神」を信奉できないということは、万世一系の、皇統不可犯の天皇を君主としていただくことができない。
それはすなわち、キリスト教を信ずる我が国の人々の天皇に対する尊敬の念は、西洋の王家や、その国の人々の王家に対するものよりも薄いものになってしまうということでもあろう。なぜならば、彼らから見れば、天皇は「異宗教の王家」であるからだ。甚だしく言うなら、日本に住むキリスト教の人々にとって天皇を信奉するということは、彼らの宗教のいう「邪教の帝王」を戴いていることに他ならない。
つまり、キリスト教がこの国に広まるということは、国民が一つとなるという徳を欠き、バラバラになっていくことを避けられないということである。

 

考察

キリスト教(特にユニテリアン)は、ご存知の通り一神教であり、他の神を信ずることは禁じられています。
「天皇」とは、日本神代の神の子孫であり「神道の最高祭祀者」でもある、という定義のされた存在であったため、キリスト教を容認した場合は、天皇を国家元首としていただく当時の明治日本の国家体系そのものを覆してしまうことになる、と鳥尾は考えていたようです。
私はこれを見たときに、「おぉ…納得…」と妙に感心しました。私もてっきり「欧州化なんてクソくらえ!仏教万歳!」くらいのこと言ってるのかと思ってたので、全然感情論じゃないじゃない!と。
鳥尾がキリスト教に反対していたのは、キリスト教が日本に広まり、最悪国教となってしまった場合に訪れる、この事態を危惧していたからなのです。それはつまりは、彼らが主体となって成し遂げた「明治維新」というものの末に創ろうとした国家体系自体を否定することになりかねない。それだけは避けねばならないと思っていたのでしょう。

ナップとの会談で実際にどのようなやり取りがあったかは分かりませんが、おそらく彼が最も懸念していた、「天皇を信奉する」ということに対して、鳥尾が考えていたよりもナップ(キリスト教者)の考えが深刻ではなかった、ということを察せられたから態度が軟化したのではないかな、と思います。

 

雑談

ところで春先に熱海に旅行に行く予定がありまして。
熱海!!熱海といったら鳥尾!!という思考回路の私は、とりあえず児恋草にも出てきた伊豆山神社と、鳥尾別荘を見に行ってみたい…。外からしか見れないけど…。

熱海 西山倶楽部

元々長州出身の退役将軍鳥尾子爵の庵であり、徳川光圀が晩年を過ごした「西山荘」の庭園を模して造園したと伝えられている。土地の人から「西山荘」と呼ばれていたという由来から「西山町」と名づけられた。

私が昔見たときは●億▲千万とかだった気がするんですが、今は販売中じゃないですね…。内装写真も撤去されとる。
宝くじでも当たらない限り私には手の届かない金額なので、どこぞの心ある資産家が買い取って、公開してくれればいいのになー。もしくは松田屋(山口)みたいに高級旅館化すればいいのに。高くてもそれなら手が届くだろう。いつかは行きたい夢の国的な!!
ていうか「熱海市町内会長連合会40周年記念誌」が欲しい!前見たときはこの解説もなかったのよ…!!ありがとう熱海の人!!

※2012/5/13 追記
上記物件売却済みのため、リンク解除しました。

*2012/5/13追記*
熱海に行ってきました!
鳥尾の別荘地にも行ってきました!…と報告したかったのですが、帰ってきて浮かれながら写真見返して資料読み返していたら…場所間違えていました…。

どうやら私が鳥尾の別荘だと現地に行ってテンション上がっていたのは吉川英治旧居跡のようです。昭和27年から37年まで10年間住んでいて、「新平家物語」「史学余話」等を執筆したそうな…。
というか、あとで色々思い出した結果、ついてきてくれた方が帰りに迷い込んだ道がどうやら鳥尾別荘に繋がっていたみたいで(「なんか民家に繋がってた」って言って引き返してきたのだよ…)、私はその時佐々木信綱邸を外からバシャバシャ撮っている最中で…行けばよかった…!!!

鳥尾別荘はどうやら2009年まで古河電工の保養所になっていたようなのですが(うらやましい…)、その後売却され、2009年に私がチェックした時がちょうどリフォーム&売出し中だったみたいです。現在は商談成立&売却だそうで…またどこかの企業の保養所になっているのかなぁ…。羨ましいなぁ…。

でも熱海に実際行って、こんなところに住んでいたのねーとか、こんなあったかい場所だったら人に勧めまくるのも分かるなーとか、色々感じることはできたので良かったです。見取り図や写真でどんな外観や内観やお庭かは分かるけど、それは写真や資料じゃ分からないからなぁ。
伊豆山神社にも行けたし、子恋の森も(猪出るので入り口まで)みれたし、来宮神社にも行けたし、最終的に鳥尾じゃなくて別のことが目的の旅だったので、まぁいっかという感じです(笑)でも思ったより意外と行けちゃう距離だったので、いつかリベンジしたいです。
というか旅館化してくれればいいのにほんとに!

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