著作鳥尾小弥太

【鳥尾小弥太】兒戀草001

兒戀草について

兒戀草(児恋草)は、鳥尾晩年の著書。明治34年に完成。娘廣子にあてて書かれたもので、「子を思ふ思ひ草の数々よしなしことを書き付けて」と冒頭にあるように、内容は多岐に渡る。
鳥尾の著書としては割合分かりやすい文章で書かれており、娘への愛情に溢れている。
本文は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
ここでは適当な箇所で区切りながら紹介します。

児恋草 - 国立国会図書館デジタルコレクション

兒戀草001

本文

伊豆國加茂郡に古き社あり。伊豆山神社と稱え奉る。其鎮坐まします土地を伊豆山村といふ。吾が村荘のある所なり。村に兒戀の森の舊跡あり。今は地形もかはりて一木もなし。里の古老のいふ。大楠とてそのうつ洞の中。疊廿疊も敷き並ぶる程の楠樹あり。四十年ばかり以前に焼けてうせぬ。其他楠松銀杏の樹など。十抱も二十抱 もあるが幾本となく生ひ茂りてありしを。明治の御代のはじめの比。盡く切り倒したりとなむ。此森の舊地に清水湧き出づ。花水と名つく。此處の里人の汲井なり。顧ふに兒戀は古々井の呼名ならむか。井の名に縁りて森の名となり。森の名によりて杜鵑の名所となりしより。遂に兒戀と書き傳へしなるべし。そはともあれ。この名 の珍しくをかしければ。子を思ふ思ひ草の數/″\よしなしことを書き付けて。其の名とはなしぬ。明治三十四年きさらぎ初の七日得庵記す。

意訳

伊豆国加茂郡に古い社殿があり、伊豆山神社と称え奉る。その鎮座しておられる土地を伊豆山村という。私の別荘のある場所である。

村には兒戀(児恋)の森という旧跡があるが、今は地形も変わってしまって一本の木も生えてはいない。里の古老がいうには、大楠といって、そのうつほ(岩や樹木にできた空洞。ほら穴)の中には畳が二十畳も敷き並べられる程のクスノキがあったというが、四十年ばかり前に焼失してしまったらしい。その他にもクスノキや松、銀杏の木などが十本も二十本も生い茂っていたが、明治の御世の初め頃、すべて切り倒してしまったという。

この森の旧跡には清水がわいており、花水といった。この村の者の生活水である。思うに、兒戀(ここい)とは古々井(ここい/古くからの井戸)の呼び名だったのではないだろうか。この井戸の名によって兒戀の森という森の名となり、古々井森となってホトトギスの名所となっていき、いつしか兒戀と書き伝え記すようになったのだろう。

それはどうあれ、この名前は珍しく興味深いので、子を思う思い草の数々とよしなしごとを書き付けて、この著書の名前としよう。
明治34年2月初旬の7日、得庵記す。

 

解説・補足

伊豆山神社は現在の伊豆山神社(熱海市伊豆山上野地708番地1)。熱海駅から東北約1.5kmの場所にある。明治以前は伊豆山又は走湯山と呼ばれていたが、以降現在の社名となったという。鳥尾はこの附近に別荘を構え(水葉亭がその跡地とする話があるが、詳細不明)、東京の本邸を往復する生活を行っていたようであり、最期はここで没している。
鳥尾が思案した「古々井」に関連した話としては、実際に伊豆山社が「古々比杜(子恋の杜)」と古来歌枕に詠まれた場所の一角に鎮座しているという。(伊豆山神社HP 神社紹介)
伊豆山村は確認できていないが、明治34年の統計データによれば、静岡県田方郡熱海村は、戸数854、人口5318人となっており、田方郡では4番目に多い。(参考 統計データより:医師4人、大工21人、鍛冶職1人、舟夫127人、学校3、神社2、寺院12、水車場19、小舟4、漁用船137、郵便電信局1)。

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