明治中期以降歴史ネタ

【歴史ネタ】三浦梧楼、息子のために嫁を探す

一個前の記事で書いた三浦の嫁取り話がすでに文字起こしされて残っていました。
というわけで我慢できなかったのでアップします。

三浦観樹、其子の為めに妻を娶る。新婦は、相州農家の出なり。會て三浦家に仕ふ。将軍夫妻、其端正貞淑を認めて嘆賞不措、人をして婚家を議せしむ。其父頭を持つて曰く、百姓の子豈に華族の室たるに堪へんやと、頑として應ぜず。将軍曰く、此の親にして此の子ありと、益々懇請せしむ。
而して老父頑守益々固し。将軍嘆じて曰く、百城を降すは易し、正直の一老爺を下すは難し、と。爾来将軍持久戦の策を取り、百方之に臨む。老父遂に條件を提出して曰く、一、不貞ならざる以上亡去の例に倣ふ勿れ。二、一年一度帰省墓すべきこと。三、一切の交際華族的なるを許さず、と。将軍曰く、善しと。即ち華燭の典を擧ぐ。
夫君、名は松次郎。夫人名は浅子、又近来の一佳話也。

古島一雄(鷲尾義直著 古一念会編) - p365(雲間寸観/明治四十三年五月一日)

「将軍嘆じて曰く、百城を降すは易し、正直の一老爺を下すは難し、と。爾来将軍 持久戦の策を取り、百方之に臨む。」で当時爆笑して三浦の好感度一気に上がった思い出。
「おたくの!!娘を!!!うちの息子にください!!!!」ってずっと言われ続けるんでしょ…大変でしたね浅子さんのお父さん…。「溜息つきたいのはこっちだよ…」ってなっていたのではないか。

なお、松次郎くんは三浦の次男になります。(ただwikiだと三男になってますね…手持ちの資料確認して後日更新します)
長男はいろいろあって廃嫡になっているので、それもあってきっと一生懸命だったんだろうな…などと。

コメント

タイトルとURLをコピーしました