日野西(鳥尾)廣子の話(日野西侍従夫人の精神修養談)

ひさびさに資料の紹介。『女學世界』の第五巻第六十一号(明治38年)より、「日野西侍従夫人の精神修養談」を。

日野西侍従とは、明治天皇の侍従を務めた日野西資博のこと。明治には子爵に叙せられたこの家に、鳥尾の娘である廣子さんが嫁ぎました。女學世界は今でいうキラキラした女性向けの婦人雑誌みたいなもんでしょうか…(?)。廣子さんの話を通して、鳥尾の教育方針がよく見えます。

侍従日野西資博夫人廣子は有名なる得庵居士の長女で、今玆芳紀方に三十三、既に五人の子女を擧げで居られますが、厳正な父君の御薫陶を受けられて、自ら端厳貞淑、凡桃俗李の群を離れて居られ、『私は餘り頑固で世間の事には暗う御坐いますし、御交際が御下手なのです』と常に仰るのですが、知己の方が長坐して話し込まれるのは、夫人が善く胸襟を開かれるからで、交際の奥義に達して居られるゝのでせう。
夫人は文學趣味に饒まれ、子女薫育に注意周到なる傍ら、優にやさしさ三十一文字を連ねらるゝと少なからずと承りました。記者が牛込區新小川町に夫人を訪問致したのは、秋雨しなやかな朝でしたが、御女中に案内されて清華な二階に通り、チョット障子を開けて、公孫樹の黄葉が瓢形の池に散りつゝある状を見て居るうち、米澤飛白に栗梅色紋羽二重の被布を召された丸髷姿の上品な夫人は上り来られ、御遠方を折角御出て下さいましても、御承知の通り世間見ずで…と繰り返し謙遜されて―
 
▲御宅の婦人會
子供多で餘り皆様の處へ伺ひ得ませんので、毎月第二と第四の土曜に、宅へ皆様に御寄りを願ひ、平尾光子先生に御出席を乞ひまして、御話しを伺つて居ります。これは四年前から始めましたので、知己の奥様や御嬢さん方、書の先生や花の先生、種々の御方に来て戴き、親睦を主と致して、先づ茶話會のやうな事を致して居ります。平尾先生には、私の父が私の心得の為めに認めましたる「兒戀草」と申す随筆體の小冊子を基礎として御講義を願ふて居ります。これには随分私なぞの耳の痛いことが書いて御坐います。
兒戀草の一節に曰く、
婦人日々の行は、家事の外なし。故に其婢僕を召使ふは、家事の手傳人と心得べし、必ずゞ己が気儘に使役すべからず、其事に命ずるにも、言葉づかひを温和にして、禮義あるべし、苟も男子の語勢をなすべからず、其事をかくせよ、其物をかくなせなどと言はず、かくしてくれよ、かくありたし、かくてはあしからんなど言ふべし、彼等の身の上を思ひやりて、萬事いたはり、往く先のためをもはかりて世話すべし、これ皆人の主たるものゝ當然のつとめなれば、相構へて恩にかくべからず、たとひ不調法なる事ありとも、さすがは吾に従ひ使はるゝほどのものなれば、前世の果報つたなく、魯鈍に生まれつきしものよと勘辨すべし、ゆめ/\不足の心を生ずべからず、但目上を侮り、主人を蔑にし、己が働きぶりを誇り、さし出がましきは、教へなきものゝ常なれど、かゝるものゝそのなすがまゝに任せ置かば、遂には禮儀を亂り、萬の事を荒める方にのみとりまはし、家風を失ひ、一家のうち賤民のありさまになりぬべし、かやうの者はよくよく言ひさとして改めざる時には速に暇を遣はすべし、殊に幼稚の子供のあるうちは、此事最も大事なり、古き諺に、人多ければ累多し、又人を使へば心をつかふべしと、いかにも諺の通りなれば、人多く使ふよりは、成るべく自ら立ちはたらき、家事を齊へるが、こゝろやすかるべし、
 
▲信仰
御承知の通り、父は坊さんと評さるゝ程、凝り固つて居りました上に、母も信者者で、私は幼少から始終父の話を聞きましたり、母と説教を聴聞に参つたり、そんな事ばかり致して育ちましたから、唯今以て信仰が精神の基礎になつて居り、何に寄らず是れに依つて考へて見るのが、一とつの樂のやうになりました。其癖悲哀の来ることを忘れませず、歡樂に溺れませんければ、悲哀に出遭ふたとき格別驚きませんし、又悲哀極まつて必ず慰藉*1が来ると思へしば、心胸が迫まらずに居られますので、喜ばしい時唯もう有頂天に喜んで居ると、悲哀に出遭ふ時全然失望に陥つて了いませうと存じます。一生の中の喜憂は終始循環すると云ふやうなことを常に考へて居るので、よく理屈ばかり言ふと叱られますが、思ふた丈けを何方の前でも申して了ふ性質ですから、ツイ生意氣な事を申し過ぎるので御坐います。初めて御目に懸つた貴女に斯様な妙な御話を致して嘸御笑ひ遊ばしませうが、折角御出下つたのに何も御話致さぬのも失禮と存じて、うか/\思ふ通りを申し上げたので、却々口で申す半分も實際に行へる次第では御坐いません。其れで最早近頃は南無阿彌陀佛を頻りに唱へて居ります。私は皆様のやうに交際社會へも出ませず、雑誌類も餘り讀みませんから、世間の事情は眞暗で、唯自分獨斷で心の目的を定めて居り、誠に御恥かしいやうな次第で御坐います。併し佛教でも耶蘇教でも總て宗教に熱心な御方は、どこか確乎とした處があると存じます。宗教と道徳とは離れないもので、信仰のない道徳は、なんですか腹ごたへが無いやうに思はれます。尤も日々に進んで行く社會ですから、婦人もくすんで斗りも居られません、智識才藝を以て活發に働かなければなたぬのは、自然の必要で御座いますが、唯頭へばかり血が上つて腹にこたへが無いと、足元がふら/\して倒れさうな事になりますまいかと存じます。一の宗教に依つて信仰を固めましたなら、心の底から勇氣が出て、堅固な働きも出来ませうし、不慮の不仕合せに遭ひましても、騒がずに工夫をつける事が出来ませう。私は何よりこんな御話が好きで、或る奥さんが『貴女のやうに誰にでもがみ/\云ふと皆さんに嫌はれます』と忠告して下すつた程で御座います。併し何も彼も打明けて何方にでも御隔ては致さず、御交際申上る所為か、『御宅へ来ると他人の家とは思へず、誠に居心地がよい』と皆さんが仰しやつて、何時までも御話なすつて下さいますから、有難い事だと存じて居ります
 
▲赤松蓮城氏の法話を聴く
築地本願寺に令女會と申すのが設けられてありますが、本年は十七年期に當りますので、久し振りで参詣致し、赤松蓮城師の法話を聴きました。師は婦人に冷熱があつては可けない、何時も同じやうな精神を持つて貰ひたいと云ふ意味で説かれ、今回日露戦争に就いて、婦人方が實に燃る如き熱心で、國家のために働かれたのは感服ですが、凱旋となつて先づ宜かつたと、がつたり氣が弛んで、一時に其熱心がさめて了ふやうでは、何にもならぬ、熱の高いだけに冷えるのも甚しいやうではならないが、兎角婦人には是れがあり勝なので、そこを確乎と定めるのは佛教の信仰に在ると云ふ法話で御座いました。總て宗教のほうへ引き付けるのは法話の習ひで御座いませうが、全く信仰の力は、何時も/\變らぬ堅固な志操を養ふに大切な者だと存じ面白く聴聞いたしたので御坐います
 
▲順境と注意
艱難の中に人と成り、浮世の鹽を嘗めた人は、僅かの幸福をも感謝致しませうし、又不幸に出遭ふても、経験があるから左程驚きも致しますまいが、私なぞは幼少から格別難儀も致しませず、是れまで参りましたから、動もすれば衣服なぞの望を起して、それで出来ぬと心に不平を抱くやうな事が無いとも申されません左様云ふ場合に前申上げた通り禍福の巡ることを考へてみますと、自分に安んじ感謝する念が起るので御坐います。何でも仕合な地位に在る時が、一番注意せねばならぬものだと考へて居ります。
 
▲子女の精神的教育
宅の子供は十歳を頭に、八歳と四歳の女兒、六歳と二歳の男児で、總領は實家に預けて御坐います。子供にも信仰を基として言ひ聞かせますが、地獄、極楽は申して聴かせません。唯神佛の照覧あること、應報の必ずある事なぞを教へて居ります。子供は何か研究したがる者で、神佛は何處に居ますかと尋ねますから、神佛は人間の眼で見ゆるもので無く、人間の力で知ることは出来ないが、何時でも御前方の為る事を見て居らツしやる、父母の知らぬ事でもチャンと御分りです。父母の言付をきかねば、父母は罰しないでも神佛が必ず罰しますと申し聞かせますが、切れ物を翫んで怪我を致した時なぞ、それが罰と云ふものですよと申しますと、大層感じるやうで御坐います。忠孝の道なぞ分つても分からなくても始終話して置きますが、先達ても私が針仕事を致す側で手助の真似をいたし、『私は母様に孝行をします、姉様や兄様も孝行をなさいな』と申したので大笑らひ致しました、孝行はよい事と云ふだけは分かつて居るものと見えます。
 
▲小供の仕付
安樂に暮す折の稽古は、別に心配致さずもと宜しう御坐いますが、不幸な境遇に陥つた際の心得は、充分子供に仕こみたいと存じて、萬事不自由がちに育てゝ居ります。八歳の娘は、竹早町の女子師範學校附属の小學校へ遣はせますが、供を附けたり、車へ乗らせたり致しません。食物なぞ何でも戴かせますから、好き嫌ひは申しませんが、偶に申す事がありますと、御菜無しで御飯を戴かせ、決して代りの御菜を遣しません。間食は小さい子供だけ十時と三時とに定めて御坐いますので、其他にねだり事は致しません。私は唯自分の考え通りに子供を育てゝ居りまして、一向世間の流行に構ひませんが、日々進歩する社會は、十年以後に如何程變化いたすか知れぬと存じますと、子供も餘り世の中に遠からぬやう注意したいと考へます併し志操を堅固にして、智識を進歩させるのは、容易ならぬ事と始終心配して居ります。
 
▲家庭の快樂
私共でも子供を一番の樂みと致して居ります。日野西は一日一晩御所へ詰めますと、二日はあき日で在宅致しますから、よく子供を連れては出掛けますが、主に新宿の御料地へ参ります。御料地の御庭は結構で、動植物の拝見も出来ますし、偶に御知己の一人二人御目に懸る位で、御閑静で御坐いますから、誠に樂しく遊ばれます。年寄りの下女一人留守居に残し、家内中電車で参り、御庭の芝生で手製の御辨當を開き、終日遊ぶので御坐います。私共では演劇や賑やかな場所へ参つて樂しむ事は致しませんが、是れだけ子供が御坐いますと、却々面白く暮らしまして充分趣味があるやうに存じます。
 
▲音楽
音楽は女の兒に早く仕込んでしまふ方がよいかと存じて、一昨年六歳の時から琴を初めさせました。琴なぞは別に脳を使ふものではなし、且限りのある物ですから、先づ十年で充分と思ひます。而して丁度十六歳頃脳が發達してからみつしり學問を致させやうと考へて居ります。私は音楽も大好きですが、自分は全然出来ません、唯時々御所の蓄音機を、宅へ拝借して伺ふ事が御坐います。
 
▲和歌
私は華族女學校も僅かの間で止めまして、あとは父の側で書物を少し教はりました位、本當の時代後れで、却々皆様の御仲間入りは出来ません。ハイ中島さんへ参りましたので、三宅さんや天野さんと御心易くなりました。和歌は下手の横好きで、以前は随分凝りましたが、唯今は落着いて考へる餘裕が無くなりました。併し餘りジッと考へ込むより、偶然浮んだ方が案外よいことが御坐います。勿論倉卒の際に名歌も出来ますまいが、自然と云ふことだけは寫されます。よく勝手元の用を致しながら、偶然出来ることもありますし、下女の忙しい夕刻なぞ、此二階の雨戸を繰りながら、梢や雲を眺めて偶然浮んだ歌に却つて瑕の少いのが出来ることも御坐います。ハイ年のゆかぬ内から興風會の御厄介になりましたので、唯今でも同會へは成るべく参るやうに致して居ります。宿題と即座と何方が作り易いかと申せば、私は却つて即座の方が迷はないで作り易いと存じます。即座の歌は秀でたのが出来ないに違ひありませぬが、宿題ですと餘り種々考え込んで、拵へたやうな歌が出来て、面白く御坐いません。
 
▲和歌と道とは離れぬもの
『父母の未だ健全であるのに、亡き父母を憶うと云ふ意味で悲しげな歌を作り、名を衒*2ひたがる人が往々あるが、それは真心から出たので無いから、到底名歌の價は無い、總て和歌は眞實の熱情から言い表さなければならぬ、道を離れた和歌は本當ではない『(※注:原文ママ)と、善く故中島先生が御諭しでした。ハイ戀歌で御坐いますか、『貴女方極親しい御友達を慕ふ心を詠んで御覧なさい』と仰しやる位で、決して令嬢方には作らせませんでした。
戀歌がよく出来るやうにならなければ名人にはなれないさうで御坐居ますが、年のゆかぬ方には弊害が多いので餘り御教へなさらなかつたのです。
 
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初冬の銀杏黄金をばら/\と         劍花
(p24-p31)

 
 
*1 「慰■」で"なぐさめ"とルビ。■は草冠+禾+青(?)
*2014/11/03 追記*
コメント欄にて「慰藉」とご教示いただきました!ありがとうございました!

 
*2 "てら"とルビ。
*2015/04/23 追記*
コメント欄にて「衒」とご教示いただきました!ありがとうございました!

 

平尾光子:調べても記事が引っかからなかったのですが、碑文を書いたり、当時の文化人との書簡が残っているので、教育者かなにかだったのか?
赤松蓮城:浄土真宗本願寺派の僧侶。(天保12年生まれらしいので鳥尾小弥太より7つくらい年上)ヨーロッパ留学もしている。
中島歌子:明治期の代表的な女性歌人。門弟には樋口一葉もいる。
三宅さん:三宅花圃。明治以降の女性で初めて小説を書いた女性、とのことですが、個人的に三宅雪嶺の奥さまということに驚き。
天野さん:天野瀧子。門下生ということ以外よく分かりませんでした。
末尾の和歌が分からなかったのです。「劍花」が廣子さんの号で廣子さんの和歌なのか、はたまた「劍花」ということで同時代の「井上劍花坊」のものなのか…。

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