近現代雑記

20220311_戦争とはいったい何なのか

今回の記事で言いたいことの都合上、『となり町戦争』(三崎亜記)という小説のネタバレを含みます
ご注意ください。

十年前の夏にWW2について思ったことを徒然と書きました。
そのとき、「歴史の曲がり角に立ったとき、たくさんの人が危険を感じて正しい方向へ持っていけるはず」という何とも楽観的な言葉を書いていました。曲がり角は一つではありませんが、間違いなく今、その曲がり角の一つに立っていると感じています。

 

特にこの一週間、この曲がり角でいったい何ができるのだろうか、とずっと考えていました。
言葉ではそれらしいことは何とでもいうことができる。
けれど、私自身は命が脅かされることもなく、食べるものにも困らず、明日もいつも通り会社に行き、そしてソシャゲのガチャを回す…という一日を繰り返している、鳥尾小弥太のいう『凡夫』の生活をしている事実。
ただただ無力感だけが募っていきました。

 

しかし間違いないのは、何もしないよりはマシ、ということです。
だからといって何かしたら良い、ということではなく、その『何か』とは、負の感情をぶちまけるのではなく、あくまで建設的に、問題を解決する方向でなければなりません
無力感が募るし何も変えることができないから見ないふりをする、募金もしない、平和を祈らない、という人が一人増えるよりも、そういったことをする人が一人でも増えるほうが今は良いのではないかと思います。

それぞれが、それぞれの立場でできることをまずやるべきです、と、松陰先生も言っていました。
非難をすることはあとでいくらでもできます。
笑って隣人と平和に過ごすだけでも、負の感情をぶちまけて新たな火種を作るより良いと思うのです。

そんなことを色々考えた結果、「考えるくらいなら文字にして残しておこう」と思ったので、徒然と書いていきます。

『となり町戦争』のなかにいる私たち

『となり町戦争』という小説を読んだことがある方は、この記事を見てくださった方のなかでどのくらいおられるでしょうか。
三崎亜記さんの2005年に出版された小説で、第17回小説すばる新人賞を受賞した作品です。
私はリアルタイムでこの本を高校生の頃に購入し、読んでいました。
当時は全く面白いと思えなかったのですが、大人になってから、その、『面白くない』と感じた理由にいきついたときに、初めてこの小説の恐ろしさを感じたものです。

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今日、この記事を書くにあたってAmazonのレビューを見ていたら、当時の私と全く同じ感想を持っている方がいて親近感がわきました。
私が高校生の時にこの本を読んで『面白くない』と思った理由。

それは、「目に見えて何も起こらない」からでした。

戦争というタイトルがついているのに、どうやら死者が出たらしい、今日は何人、今日は何人、と淡々と情報として主人公のもとに届いてくる描写が続くのです。
主人公は銃撃戦も行わないし、人が吹き飛ぶところにも出くわさないし、命を狙われることもない場面ばかり。
臨場感もなく、緊迫感もなく、感情移入もできず、『面白くない』のです。

大人になってから、私はこの『面白くない』と感じることこそが、この本の狙いだと思ったのです。
その感情を抱いた時点で、高校生のあの頃の私はまさに主人公に『感情移入』できており、となり町戦争の世界に入っていたのだということに気付いたときに、それがものすごく恐ろしいことだと感じました。

少なくとも私は、

自分が命の危機に脅かされて初めて、
自分に関係のある人が命を落とすのとみて初めて、
目の前で誰かが亡くなるのをみて初めて、
ようやく『戦争』を実感するのだ

と。
そうしなければ、『戦争』だと実感することができないのだと思いました。

『戦争』とは何か

そもそも、『戦争』とは何なのでしょうか。
今現在、日本国内ではほぼほぼ目に見える範囲では、ロシアがウクライナへ『侵攻』しているという文言が使われています。日本政府では『侵略』という文言が使用されています。

民間の一般ピーポーとしては、なぜ『戦争』という文言を使っていないのだろうと疑問に思いました。
このあたり、国内の戦いを「乱」「変」「戦争」という言葉で呼称する際もいろいろセンシティブなことがあったことを何となく知っている歴史好きとしては、おそらくいまいまのコレもそういうやつなのではないかと察しています。
ので、客観的にまずこのあたりの定義から確認してみることにしました。

まずwebilo辞書さん(Weblio辞書 国語辞典)でみてみましょう。
『戦争』という用語を検索するとこのように記載されています。

1 軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。国際法上は、宣戦布告により発生し、当事国間に戦時国際法が適用される。いくさ。「戦争が勃発する」「隣国と戦争する」

2 激しい争いや競争。「受験戦争」「交通戦争」

重要なのは、『国際法上は、宣戦布告により発生し、当事国間に戦時国際法が適用される。』というところです。
では宣戦布告しない場合はどうなるのでしょうか。
アジ歴さんではこのように説明されているところがありました。

宣戦布告とは、ある国が他国と「戦争状態にある」ということを意志表示することです。あるいは、「宣戦」、「開戦宣言」、「戦争宣言」という場合もあります。宣戦布告が行なわれた後で国家間が武力を使って争うことを通例では「戦争」といいますが、宣戦布告がないまま武力を使う争いを「事変」や「紛争」といいます。
ある国が他国に対して宣戦布告を行なった時点で、両国は「交戦国」と呼ばれ、国際法上の「交戦状態」あるいは「戦争状態」に入ったと見なされます。その際、戦争に参加せず、さらにどの交戦国に対しても援助を与えない国のことを「中立国」といいます。

公文書に見る日米交渉~開戦への経緯~ - アジア歴史資料センター

つまり、宣戦布告がされない場合は『戦争』という文言を国際法上、使えないということのようです。
逮捕されても罪が確定されるまでは『容疑』者と呼ばれることと同じ感じですね。
なお、国際法でこのあたりを言い切っているところが見つけられませんでした。どこにあるのだ。

先週メディアを追っていると、プーチンさんが宣戦布告した、してないみたいな情報が錯綜していて正直良くわかっていませんでした。
私はロシア語が分からないので誰かのフィルターを使ったものでしか判断ができないのですが、いまいま『戦争』という文言を日本政府が使っていないあたり、日本国としては「ロシアは宣戦布告をしていない」という立場なのだろうと思います。

ちなみに、ロシア周りでも言い方が色々気を付けられていて、
BBCさんで報じるところでは

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は5日、ロシアのウクライナ侵攻を受けて西側諸国が発動した対ロ経済・金融制裁は「宣戦布告のようなもの」だと述べた。「しかしありがたいことに、そこまでには至っていない」とも述べた。

プーチン氏、制裁は宣戦布告のようなものと 戒厳令は否定 ー BBC(2022年3月6日)

と、「ようなもの」と絶妙に濁しています。
日が経って9日の新潟日報デジタルさんがロイターさんの報道を引いているところでは

ロイター通信によると、ロシアのペスコフ大統領報道官は9日、米国がロシア産原油の輸入を禁止したことを受け「米国ははっきりと経済戦争の宣戦布告をした」と述べた。

ロシア「経済戦争の宣戦布告」米の原油輸入禁止を批判 ー 新潟日報デジタルプラス(2022年3月9日)

*2022/05/15 追記*
URL先の記事が削除されたため、リンクを解除しました

と、宣戦布告しているのはロシアではなくアメリカだ、という言い回しです。

というわけで、なにかセンシティブな問題があるのではなく、国際法にのっとっるとロシアが宣戦布告をしていないというところから、『戦争』という文言を使っていないのでしょう。

 

2022年の国際社会における『戦争』とは何か

ロシア、ウクライナ、そして日本国も、国際連合の加盟国です。

国際連合広報センター(JA)
ーーーーーー
※2022/03/11

私のPCに入っているセキュリティソフトの問題かもしれませんが、
上記サイトでいくつかリンクを飛ぶと、「外部サイトに遷移します」の案内が出て、承認してその外部サイトにいったらセキュリティソフトに引っかかったり、別ページで広告が出たりしました。
引っかかったので開くのを止めたのですが、外部ページに飛ぶ場合ご注意ください。
ーーーーーー

国際連合の目的は、国際連合憲章の第一章第一条に以下のように記載されています。

1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

3.経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

4.これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。

そして続けて、第一章二条には以下の記載があります。
※太字マーカーは私が入れたものです。

この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。

1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。

2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。

3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。

4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない

5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。

6.この機構は、国際連合加盟国でない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。

7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない

日本や各国が経済的制裁を加えているのは国連憲章の目的に沿い、第一章第二条三項の『平和的手段』による解決を促しているから、ということでしょう。
そんな悠長なこと言って!!人が亡くなっているのに!!とはいえ、同条七項の赤文字部分を踏まえれば、『他国』に干渉する権限は与えられておらず、必ずしなければならない、というルールではないことが分かります。
ウクライナを助けに行くために他国が『武力』を派遣するのと、ロシアがいう『同志を救うために武力』を派遣することの客観的な違いの証明ができないからだろうと思います。諸刃の剣です。

もちろん前者をきちんとした大義を経て行うことができます。
いわゆる、どちらかの陣営に味方として入り、相手方を敵とみなして宣戦布告を行う、『参戦』です。
それは「複数の国が宣戦布告をして戦争が始まった」という、WW3のトリガーを引くことになることと同意義なので、今の状態になっているのだろうと思いました。

ここ数日で、ロシア政府が当初の「ウクライナの国内にいる同志を救う」という建前ではなく、「コロナの実験地がある」ということを主張し始めました。
ウクライナが総力戦に入ったことで、「ウクライナ国内にいる同志とは?」という証明ができなくなったため、別の大義が必要になったのでしょう。もう周囲から見ると無いも同然なのですが、ロシアはロシアで大義を抱えなければ、「宣戦布告なしの戦争」を仕掛けた状態になってしまうので、それを一生懸命回避しようとしているのだろうと思います。

戦争になれば、黄色マーカー部分の国連の強制行動の対象となってしまうからです。
ところが、です。
Wikipediaなどでは、国際法上は『戦争』はもう起こりえない、というような記載をみることがあります。いったいどういうことなのか。
おそらくその根拠となるのが、第五十三条です。
※太字マーカーはこちらでいれました。

1.安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする

2.本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される

この記述を見て騒ぐのは得策ではなく、関連条約がいくつかあるので総合的にみて解釈・適用する必要はありますが、しかしこの条項は頭にいれておかないといけないと思いました。

 

2022年の日本国における『戦争』とは何か

ところで、日本政府における「戦争」の定義について、911のテロ後の平成十三年に質疑があったのでご紹介します。
非常に興味深い質疑です。
なお以下は一部抜粋のため、衆議院HPより全文が見れますので、ぜひご参照ください。
この質疑以降で新しい見解が出ているかもしれないのですが、追い切れていないということを事前に記載します。

ーーーーー
平成十三年十二月三日提出 質問第二七号
提出者:金田誠一
回答者:内閣総理大臣 小泉純一郎

「戦争」、「紛争」、「武力の行使」等の違いに関する質問主意書 - 衆議院
ーーーーー

①「戦争」について
<質疑> 

一 「戦争」について
日本国憲法第九条には「国権の発動たる戦争」とあるが、戦争の条件には「国権の発動」を必要とするのか、言い換えると国権の発動ではない戦争が成立する余地はあるのか、政府の見解を明らかにされたい。

<回答>

一について

憲法第九条第一項の「国権の発動たる」とは「国家の行為としての」という意味であり、同項の「戦争」とは伝統的な国際法上の意味での戦争を指すものと考える。したがって、同項の「国権の発動たる戦争」とは「国家の行為としての国際法上の戦争」というような意味であると考える。
もっとも、伝統的な国際法上の意味での戦争とは、国家の間で国家の行為として行われるものであるから、「国権の発動たる戦争」とは単に「戦争」というのとその意味は変わらないものであり、国権の発動ではない戦争というものがあるわけではないと考える。

 

②「戦争」と「紛争」の違いについて
<質疑>

二 「戦争」と「紛争」の違いについて
日本国憲法第九条では、「戦争」と「国際紛争」とを区別していると解されるが、政府の見解はどうか。政府が両者を異なるものと解釈しているのであれば、その違いについて明らかにされたい。

<回答>

二について

憲法第九条第一項の「戦争」とは、伝統的な国際法上の意味での戦争、すなわち、国家の間で武力を行使し合うという国家の行為をいうのに対して、同項の「国際紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立しているという状態をいうと考える。

 

③紛争について
<質疑> 

三 紛争について
以下の用語の定義について異なるのであれば、政府の見解をそれぞれ明らかにされたい。
1 日本国憲法第九条でいう「国際紛争」。
2 国連憲章第二条でいう「国際紛争」。
3 国連憲章第六章でいう「紛争」。
4 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)第一条でいう「国際紛争」。
5 日米防衛協力のための指針(千九百九十七年九月二十三日)(以下「指針」という。)「Ⅱ 基本的な前提及び考え方」でいう「紛争」。
6 平成八年度以降に係る防衛計画の大綱(以下「大綱」という。)「Ⅰ 策定の趣旨」でいう「紛争」。
7 平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(以下「テロ対策特措法」という。)第二条でいう「国際的な武力紛争」。

<回答>

三の1について

憲法第九条第一項の「国際紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態をいうと考える。

三の2及び4について

国際連合憲章(以下「国連憲章」という。)第二条第三項及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三十五年条約第六号。以下「日米安保条約」という。)第一条の「国際紛争」とは、一般に、国家などの間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態をいうと考える。

三の3及び5について

国連憲章第六章及び平成九年九月二十三日に日米安全保障協議委員会において了承された日米防衛協力のための指針(以下「指針」という。)「Ⅱ.基本的な前提及び考え方」の「紛争」とは、一般に、当事者間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態をいうと考える。

三の6について

平成八年度以降に係る防衛計画の大綱(平成七年十一月二十八日閣議決定)「Ⅰ 策定の趣旨」の「紛争」とは、国際政治の安定を確保するための我が国の外交努力の対象となってきた争いをいうと考える。

三の7について

平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成十三年法律第百十三号。以下「テロ対策特措法」という。)第二条第三項の「国際的な武力紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争いをいうと考える。

これをもとにすれば、今現在、『戦争』という文言を使っていないことに矛盾はないようです。
ではいまウクライナとロシアの間で発生しているものは『紛争』なのか、というと、上述したように日本政府は『侵略』という言葉を使っています。

 

ウクライナでは何がおきているという見解なのか

ロシアによるウクライナ侵略を踏まえた対応について - 首相官邸

『侵略』という用語については、国連総会決議3314という、1974年12月14日の第29回国際連合総会で定義されています。
※太字マーカーはこちらでいれました

第一条(侵略の定義)
侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であ って、この定義に述べられているものをいう。

(略)

第三条(侵略行為)
次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。

(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵略若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合
(b) 一国の軍隊による他国の領域に対する砲爆撃、又は国に一国による他国の領域に対する兵器の使用
(c) 一国の軍隊による他国の港又は沿岸の封鎖
(d) 一国の軍隊による他国の陸軍、海軍若しくは空軍又は船隊若しくは航空隊に関する攻撃
(e) 受入国との合意にもとづきその国の領域内にある軍隊の当該合意において定められている条件に反する使用、又は、当該合意の終了後のかかる領域内における当該軍隊の駐留の継続
(f) 他国の使用に供した領域を、当該他国が第三国に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家の行為
(g) 上記の諸行為い相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与

(略)

第五条(侵略の国際責任)
政治的、経済的、軍事的又はその他のいかなる性質の事由も侵略を正当化するものではない。
侵略戦争は、国際の平和に対する犯罪である。侵略は、国際責任を生じさせる。
侵略の結果もたらせられるいかなる領域の取得又は特殊権益も合法的なものではなく、また合法的なものととし承認されてはならない。

侵略の定義に関する決議 ー ミネソタ大学人権図書館

上記を踏まえると、日本政府が『侵略』という言葉を用いていることをあくまで個人的に解釈するのであれば、国際連合の加盟国として国連総会決議3314を採択しているという立場で、ロシアの今回の行動が第三条に違反している、ということなのではないかと思います。
そうしてその立場をとるのであれば、国際法上これは『戦争』ではないのであるが、ウクライナと共にあると宣言した日本政府は、これを限りなく『侵略戦争』と捉えている、ということになるのではないか、と。

 

いま何ができるのかとどうしたらいいのか雑感

日本はWW2の敗戦国であり、世界唯一の被爆国であり、311で津波による原発のメルトダウンを経験した国です。
絶対にいえるのは、核を兵器として使うことに、人類として『正しい』点は一つも無いということです。
これを理想論ではなく説得力を持って言えるのは、日本以外にはありません。

もしかすると、上述の国際法の内容をもって、太平洋戦争のことを持ち出してくる人もいるかもしれませんが、冒頭でいったように、非難をすることはあとでいくらでもできます。
大事なことは、『今』、このときに起こっていることを、いまこのときの国際法、国の立場で解決することであり、それは国連憲章の目的と全く相違していません。
むしろ、平和的解決を求めて善処しないことは、この憲章に反しているといえます。
しかし、反しているとまた誰かを責める時間がもったいないので、『問題を解決すること』に思考をもっていくほうが良いことは、歴史をみても明らかです。

では核が使われないように、速やかに停戦が行われるようにするにはどうしたらいいのでしょうか。
ロシア政府がウクライナに停戦条件として求めているのはウクライナの武力無効化ですが、それは無条件降伏と同意義です。ウクライナがこの条件をのむ道理はありません。
停戦のトリガーはロシアにしかないのです
ロシアが銃を治め、ロシアの領内に帰ることでしか停戦はありえないのです。

上述したように私はロシア語ネイティブではないし、ロシアに知り合いもいないので、こういった事情はロシアに取材しているロシア外のメディアと、国内にいるロシア人の方の話を信じるしかありません。
後者は、小原ブラスさんと中庭アレクサンドラさんのピロシキーズのYoutubeをよく観ています。
わかりやすくて本当にありがたい。(元々見ていたのですが、こんなことになるとは…)

ロシア国内は現在、実質的に情報統制が敷かれており、国民にはウクライナへどういった理由で、どういった進軍がされているか正しく伝わっていない、とききました。
情報が足りない、あるいは、情報が『正しいのか信じることができない(判別することができない)』というのは、いつの時代も戦時中は変わらないようです。
逆にいえば、この状況をもってしてもロシア国内が異常であると、外からはいえるでしょう。
決して笑いごとではなく、WW2末期の日本とこれは非常によく似ています。
ということは、あの時に日本で『起こっていたこと』と『それを是正した方法』が、解決の一助になるのかもしれないのではないでしょうか。

何回もいうように私はロシアの知り合いがいないのですが、ごくまれに国外からこのサイトにもアクセスがあるので、もしまたそういって流れ着いた方がいるかもしれないという方に希望を託しつつ、以下個人的に思うことを書きます。

 

まず第一に、「ロシアのウクライナ侵略は国際法的に正義はない」ということは揺るがないと思いますが、それがイコールで「ロシアという国が総じて悪」にはならない、ということ。

国際法的には『戦争』ではありませんが、国連総会決議3314を主としてみるならば、これは『侵略戦争』です。
ロシア兵がロシアとウクライナと国境を越えて、ウクライナで交戦していることは誤りに違いありません。ロシアに非が無いのであれば、まずロシア国内に兵を戻すべきです。
これが『戦争』で無いのであれば、敗北でも撤退でもなんでもなく、「ただあるべきところに兵が戻る」だけのはずなので、ロシア側に求めることに何もおかしいところはないのではないでしょうか。

そして、戦争責任を負うのは国民ではありません。戦争を主導した人間です
今回でいうならば、責められるべきはロシア政府であり、ロシア国民もまた被害者だろうと思うのです。前線に立つロシア兵もまたしかりです。
(しかし、世の中には戦争があろうがなかろうが性格が悪かったり人間的に問題があるやつというのはいるということは忘れてはいけません。これは別問題です。戦時中を傘にきて何かをやっている人もゼロではないと思います)

自らの意志で軍に従事したのではなく、徴兵によって連れていかれたのならば、一兵士にそれを平和的に拒否する方法はないであろうことを、WW2で赤紙のきた世代を祖父母にもつ私は察してあげたい。
ので、『志願兵』としてロシア側に国外から参加する人々は、ことが終わった暁には戦争責任をとらなければいけませんよ、ということになるでしょう。

侵略されているウクライナの人々は、ロシア政府と実際に対峙する兵士を憎悪するのは道理です。目の前で、あるいはそうでなくても、家族友人知人が殺されて憎むなというほうが酷だろうと思います。

しかし、外にいる我々が声を大にして責めるべきはロシア国民ではなく『ロシア政府』です。
国が崩壊する必要はなく、政府が変わればいいのです。
勿論古い政府の犯した罪を贖う必要は『国』を連続して維持する限りはありますが、国民は新しい政府で、ロシアを再興すればよい。
それがどういった結果をもたらすかは、今の日本が一つの形をみせています。
そうしてもう一つ日本から言えるのは、止めるのも再興するのも、その国の国民の手に寄らなければわだかまりは同志のなかにも残るということです。

第二に、上記のような情報統制の敷かれているなかでロシア国内にいる人に「洗脳されてるよ!」といって「そうか!」となるわけがないということ。
戦争を止めろといっても『戦争をしている』ということを知らない環境で言われてたら渦中にいる人は信じる信じない以前に、「何を言っているんだ?」と逆に思うのでしょう(WW2のときの「日本戦況悪いですよ」のビラが空から降ってきて「信じられませんでした」という回顧録が刺さります)

なので、「戦争を止めろ」というよりも、まず兵を国内に戻すということを目的にして国民は動くほうが、暗殺しろとか言われるよりも現実的なのではないだろうか。
国境付近に支援にいった(と聞いている)兵を、軍事支援するよりも戻してほしい、のほうが、角が立たない気がするし情報統制されてても言いやすいのでは。…分からないこのあたりは共産国家の空気感分からないし平和ボケしているから自信がない。
けれども、もし自由に発言することが許されないのであれば、それは過去の日本や近いところだ同じ理念を掲げる中国でも『歴史の転換点』で発生したことであり、少なくとも『正常』ではない、ということを自覚してもらう糸口になるのではないでしょうか。

太平洋戦争の際、同じように「情報統制」と言われていた中で隠れている人に降伏を促す際に信じて貰えた手段としては、すでに投降した人が説得をする、というのが有効だった、ということがあります。
確かに第三者に言われるよりも、昨日まで一緒にご飯食べていた人に言われたほうが信じられるでしょう。
ロシア人に「何かおかしい」と気付いてもらうには、ロシア人の言葉が必要になります。
上述したピロシキーズさんたちも、ロシアの外にいる、自由に発言できるロシア人の方々がまず声をあげることが大事、というのは、非常に理にかなっていると思いました。
なので、上記に追加するとなると、ウクライナに投降したロシア兵士に一生懸命このへん頑張ってもらうしかないですが、そうすると現政権の間はその人は戻れないということを覚悟しないといけないので、そこを納得してもらう必要がありそうです。
映像の場合は、フェイクではないと証明することはおそらく不可能なので、協力国の様々なメディアでひたすらに流し続けるしかないかもしれません。

雑感など総括

総括すると、結局のところ、外側にいる我々が現実的にできることは、

ロシア国民に少しでも外の情報を届ける
ウクライナ国民へは金銭、物資の支援と味方であることを発信し続ける
情報に振り回され過ぎて神経衰弱させない

ということになるのでしょうか。
本当にしょうもないのですが、私は医療従事者でもないので、コ口ナにかからないように健康に気を付けて過ごし、変なトラブルを起こさないように負の感情をリアルで接する人々にばら撒き散らさない、ということに取り組むのが結局のところ一番現実的にできることなのだと思いました。
できることをしながら、もう少し何かできることが無いか考えつつ、祈りたいと思います。

 

なお、私は日本が『日本』である限りは皇室にあってほしいと切に思っており、WW2の一連の戦争責任について当時から現在までの皇室を批判する気持ちはありません。弥栄。

 

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