歴史ネタ近現代

【覚書】夏の日のつれづれ

69年目の夏。原爆をはじめとして戦争の犠牲になられた多くの方々へ祈りを。
さて、東京都の皇居の近く、竹橋にある「国立公文書館」。

国立公文書館 - 公式HP

定期圏内だったこともあり、学生時代はしょっちゅう行っていました。なにせタダ。そしてパンフタダ。タダであの資料たちが見れるなんて税金払っててよかったー!と当時心底思いました。

 


ちなみに写真のパンフもタダでもらったものです。
パンフといってもオールページカラー&写真付き&解説付き。嬉しすぎる…!!

このパンフレットは、2007年に展示された特別展、「再建日本の出発-1947年5月 日本国憲法の施行-」のものです。改正問題もあがっている、現・日本国憲法の原本をはじめ、その制定までの草案などが多く展示されていました。
現在は、国立校文書館のサイトで一部が再編されて見ることができます。

再建日本の出発-1947年5月 日本国憲法の施行– ― 国立公文書館

普段博物館や美術館にいっても人が多くてメモを取ることがあまりないのですが、公文書館は狭いのにいつもわりと空いているので、比較的ゆっくりみることができるのがうれしい。立ち止まってメモを取っても余裕です。
この特別展では、草案のほうに打ち消し線がひかれていたある一文を、私はメモしていました。
その部分がこれ。

第九十七条
この憲法施行の際現に華族その他の貴族の地位にある者については、その地位は、その生存中に限り、これを認める。但し、将来、華族その他の貴族たることにより、いかなる政治的権力も有しない。

wikipediaなどでもこの一文が施行された憲法では削除されたことが記載されていますが、なんというか、原資料をみることの楽しさをあのときは改めて感じました。
「削除された」とただ書かれるよりも、実際に打ち消し線が引かれているあの生々しさは、なんなんでしょう。
個人的に、この一文にひかれた打ち消し線をみて、「あぁ、明治はここで本当に終りを迎えたんだな」と、明治を生きたこともないくせに思いました。

ところがおもしろいことに、日本国憲法の原文、首相や大臣たちの署名のところに、国務大臣の「幣原喜重郎」だけが、「男爵」と冠しているのですね。当時(第一次吉田茂内閣)で爵位をもっていたのは幣原だけだったのですが、上記の97条が廃案になり、施行された第14条2項と完全に矛盾している…。
これなんでなのかなーと当時すごく気になったのですが、あとで調べたらなんてことない、この憲法が公布された時点ではまだ「大日本帝国憲法」が有効な期間であった、というだけのことでした。

日本国憲法の公布日は、1946年11月3日。施行日は1947年5月3日。
前者は現在「文化の日」、後者は「憲法記念日」です。この日となった経緯は以下のサイトにて解説されています。

新憲法の公布日をめぐる議論 - 日本国憲法の誕生(国立国会図書館)

私が大学で憲法の講義を受けたときも、この説明をされました。(先生は、紀元節は審議が長引いた…とかではなく、GHQから反対されたと言っていましたが。)
なんかあと2転くらいした、ときいたような気がするんですが、記憶違いかしら。その講義の先生の解釈としては、「吉田(茂)は、明治以来の日本とこれからの日本を繋げたかった。だから繋がりを持たせる意味で、日本は続いているという意味で、紀元節にしたかったけど、だめだったから明治天皇の誕生日に施行したかった。でもそれもだめだったから、公布を明治天皇の誕生日にした」というような話だった記憶が…。

明治憲法の制定も胸熱ですが、どちらかというと明治憲法は一から、「日本と言う“国家”とはなんぞや」という、日本の文化や風土、信仰…いわば日本と言う国家の“アイデンティティ”を明文化したものであったのに対し、日本国憲法はそのアイデンティティを捨てたようで、捨てていないものを作ったような…。
なんとなく、本当に残したかったもの、伝えたかったものを、明文化されたものの外に、当時の人々は残そうとしたのかなぁ、と思います。法律は、楽しい…。

まもなく終戦の日。
集団的自衛権の問題などが出て来たのを機会に、ひとりひとりが「この国の在り方」を意識して考える、そんな時間になればいいなぁと思います。
しかしほんとに年々、戦争特集の番組って減りますね…悲しさをあおってほしいわけでもないけれど、それでいいのかなぁ。

そういえば、国立校文書館で別の年に大日本帝国憲法が展示された時がありまして(去年も春に出たみたいです)、当時私のなかの明治熱がものすごく高かったので当然見に行きました。
夕方いったら全然人がいなくて、最終スペースにでーんと憲法置いてあったのですけど、全然人がいないのをいいことに10分くらいショーケースの前にいました笑
署名のところが開かれておいてあるだけなんですけど、「この書の前に伊藤(博文)や聞多(井上馨)や山田(顕義)が立って、実際に筆をとってこれ書いたんだ…」と思ったら感極まってですね。

確か上京したばっかりの頃だったので、もう原資料が生でみれちゃうということにいちいち感動していたお年頃だったのですが、涙目で佇んでいたら、ちっとも動かないので不審におもった警備員が、 横 に き て 一 緒 に 眺 め る という不思議な事態になったことがありました。警備員、憲法15秒だけみて元の位置にもどって行きました。

京都の霊山の久坂のお墓に初めて行ったときのあの大感動と、この憲法(というか生署名(笑))みたときの感動を思い出すたびに、「あー、あんな感覚で資料や史跡みれたらそりゃあ毎日どこ行っても楽しいよなぁ」と自分のことながら思います。あの一生懸命さ、come back。

あと去年からうちの家系図を作っていまして、GWに帰省した際に本家の過去帳も写真を撮れたので、お盆には完成させて持っていく予定です。本家を含めて一番古い人は、天明年間の生まれになりました。なんか養子が多い家で、ところどころ切れちゃうところがあるのですが、これはもう本家の本家(※田舎の山奥なので、その部落一帯が最終的に全部繋がるっぽい)に行って過去帳みせてもらうしかないのかなぁ…と。
お寺さんの過去帳は最近見るのがどこも厳しいみたいですが、うちのところは元々昭和に大火があって残っていないのです。でも仏壇に家用の小さい過去帳をおく風習がなんかこの宗派はあるらしく、家を渡り歩いてこれをみれば、なんとなく繋がってくるのです。
作業が全部終わったらそのうちレポを書きたいです。

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