旅行記東京

【旅行記】護国寺(文京区小石川) + 鳥尾家墓所~2012年8月~

今日は試験を受けに都心部にいってまいりまして、近かったので護国寺寄ってきました。
もう鳥尾家のお墓だけは迷わず行ける。

護国寺散策

護国寺は有楽町線「護国寺」駅の、護国寺口を出て、すぐ裏手になります。急遽行ったのでスマホカメラで画像あまりよろしくないですが…


護国寺仁王門
仁王様をゆっくり見たことがなかったので、今回ゆっくり見てみました。


向かって右側に阿形。


左側に吽形。
護国寺のHPには、右が吽形で左が阿形ってあったのですが、見ている方向が違ったのかな…?本尊からみての左右なのかも。しかし網?がすごく邪魔です…(仕方ないんだけど)


仁王様の背後、門を帰るときに見る方角には、向かって、右に増長天。


左に広目天。

 


五代将軍徳川綱吉公の生母、桂昌院の発願により建立されたため、葵紋が見られます(分かりづらいですが…)

 


参堂。
いつ来ても人がいます。定期市かは分かりませんが、時々この脇にお店が出ていることもあります。


階段のすぐ下に手洗い水盤があり、脇に説明板があります。緑が水面に反射していてとってもきれいでした。

 


手を洗って階段を登ると、不老門です。
この門はいつ来ても石段や草木とのコントラストが綺麗ですごく好き。鞍馬山もすごく好きなので、この形式が個人的にツボなのかもしれません。今回写真取り忘れましたが、この門に掲げられている「不老」という書は、ほんとにほんとの徳川最後の将軍、徳川家達の書になります。

 

ちなみに


鞍馬山。また行きたいなー!

 

こちらは護国寺の本堂。

 


右側面(緑が綺麗だったので…)。
本堂左手には、薬師堂と、

 


閼伽井があります。
閼伽とは仏教で供養等に利用する水で、それを汲むのが閼伽井になります。

 

脱線してまたまた鞍馬から…


閼伽井護法善神社
鞍馬寺本堂の右手にあります。


ここの龍神様はさすが元荒ぶっておられただけあって、なんだか写真をみても猫ににらまれたねずみ状態…。
この神社の天井画の龍神様もまた穏やかなんだけど、目力というか、すっごく圧倒されてしまうので、鞍馬寺に行かれる機会があったら是非おすすめしたいスポットです。

 

で、護国寺に戻りまして、薬師堂の前を通っても、本堂右を行っても、霊園になります。
元々護国寺は先に述べたように徳川家の祈願寺だったため、歴代住職のお墓しかなかったそうです(現在は奥のほうにあります)。

ところが、明治天皇の皇子が薨去されたため都内で広大な土地が必要になり、最終的に護国寺境内の東半分が皇族墓地(豊島岡墓地)となりました。その後、音羽陸軍墓地として、明治陸軍の要職者であった山県有朋、山田顕義、南部家をはじめとして、三条実美や大隈重信、榎本武明らが埋葬されています。
陸軍墓地の形成等については、下記に詳しいです。

「万骨枯る」空間の形成 ―陸軍墓地の制度と実態を中心に― (原田敬一) - 佛教大学論文目録リポジトリ

今日知ったのですが、青山霊園みたく、護国寺も霊園地図がいただけるそうです。じ、次回欲しい…。でも一般の方も多く眠っておられる場所なので、いいのかしらとも思ってしまうジレンマ。

鳥尾家墓所

そして鳥尾家も護国寺に埋葬されています。
近くの山県有朋の墓所がすごいことになっているのに対して、鳥尾家の墓所は3畳ほどの簡素なもの…(といっても最後の鶴代さんの回想に従えば、近年縮小された様子)。おそらくお盆のときにいらっしゃられたんでしょう、枯れた盆花がありました。

お墓の写真はとらないことにしているので写真はないですが、端っこに碑がありまして、それだけ今日撮らせていただきました。

小弥太関係のものかと思いきや、光氏のものなんですね。
ただしご覧の通り下が全然みえないのです…秋にきても冬にきても見えない…。見える範囲の内容としては、光氏の出自と没時の家族、略歴等が彫られています。ここにばっちり照子氏も記載されていました(勿論、墓碑にも)(過去記事:鳥尾小弥太の家系図をまとめてみた)

で、今日改めて孫世代(敬光、鶴代さん達)の墓碑を眺めていて、鶴代さんの法名に「華麗」って入っていることに初めて気づいて(勿論前後があるので読み方は違うでしょうが)、さすが…と思いました。
鳥尾小弥太のお墓というのは、兵庫県の加古川にもあって、どうしてかというと小弥太の父が江戸から萩へ帰る途中コレラに罹り、この地で没し、埋葬されているからなんですね。

小弥太は、自分が父の横に埋葬されることで、自分を弔うために訪れる人がいれば、同時に父の供養もしてもらえる、父の供養が絶えないようにと、遺言で加古川へ埋葬(実際は分骨だった様子)されました。現在は諸事情あって無縁仏となっています。
以前関西に行った際に、お知り合いの方のご厚意で行くことができたのですが、本当に無縁仏になってしまっている状態…(ただし話は知る人は知っているので、鳥尾小弥太の墓ですよ的な碑は別にちゃんとあったりする)。護国寺の鳥尾家のお墓が簡素なこと(小弥太なんか特に…)は、小弥太にしてみれば、加古川を主として、護国寺はサブという認識だったんじゃないかなぁと思いますが、最終的に護国寺が今日まで主となってしまった結果なんでしょうね。

 

後家さんのお墓参り

昔、加古川へ案内してくれた方がお寺の方より伺った話によると無縁仏になったのは鶴代さんの御存命の時で、観方によっては彼女が加古川を軽視していたとも捉えかねないのですが、個人的に、鶴代さんが遺したこの墓地に参る鳥尾家の人々の様子がすごく好きなので、最後にご紹介。

二人の後家さんと新しい嫁は、月に二度、祖父の命日と父の命日とには必ず歩いてお墓参りに行った。鳥尾家の墓は護国寺にある。音羽六丁目から護国寺の墓地まで、かなりの距離だ。母上が祖母上の手を取った。小さな祖母は内股によちよち歩く。大きな背の母上がそれに歩調を合わす。その後を、今まで斬新な洋服で飛び廻っていた私が、和服を着て、見た目には淑やかについて行った。
護国寺の墓所は、山縣さんや大倉(喜八郎)さんなどの大きなお墓が多く、一番良い場所だ。三、四十坪あり、赤松やくちなしの大きな株のある美しい墓所だ。私もやがて近い中にお邪魔させて頂くことになろう。

『私の足音が聞える マダム鳥尾の回想』鳥尾多江 p78

■私の足音が聞える : マダム鳥尾の回想
私の足音が聞える : マダム鳥尾の回想 - NDL ONLINE

コメント

タイトルとURLをコピーしました