鳥尾好きというと、「なんで鳥尾小弥太(が好きなんですか)?」と必ず聞かれます。私自身もなんといっていいか分からず、「気づいたら、好きになってました…」と、思春期か!という回答しかできなかったのですが、今回せっかくなので想いをめぐらせて書いてみます。
歴史の入口
そもそも私の歴史への興味の入り口を紐解くと、
・小学校低学年『なぞの少年王ツタンカーメン (まんが世界ふしぎ物語)』で歴史に興味を持つ
・『紫式部―はなやかな源氏絵巻 (学研まんが人物日本史 平安時代)』で日本史に興味を持つ
・『淀君―戦国時代の悲劇の姫君 (学研まんが人物日本史 桃山時代)』で、中世(戦国時代)に興味を持つ
でこれで高校まで中世を中心に過ごし、大学も中世史専攻で受験したわけです。
そう、あれはそんな受験生の夏…。
なにきっかけだったか忘れましたが、『銀魂』を当時出ていた3巻分まとめて大人買いして、ハマっていたのです。あれって歴史上人物がモデル(?)になっているわけです。新撰組や桂小五郎、坂本竜馬などなど。
ところが…一人だけモデルになった人物が分からなかったのです…。
それが高杉晋作です。
「歴史学を学びに(大学へ)行くのに、モデルが分からんようじゃいかん!!」と変な義務感に駆られ、とりあえず高校の図書館で近世史の本を読む(当時はググる力も発想もなかった)。地元(田舎)の図書館で本を読む。
そして気づいたら、『月間松下村塾』の久坂玄瑞の号を本屋で買っていました。
高杉の話が出てくると必ず久坂の話がどの本にも出てきていたのですが、だいたいどれも「秀才」「冷静」「人望が厚い」とかいうキーワードで紹介されていて、中2病甚だしかった私は「なんかかっこいい…」と心惹かれていたのでした(その後、知るにつけそれってただの高杉を際立たせるための対比上の謳い文句に過ぎず、久坂のほうがよっぽど暴れ牛なような気もしています)
これが私の幕末維新の入り口になったわけです。つまりは銀魂か…(10巻くらいまでしか読んでないんですが、今どうなっているだろう…久坂は出てきたのかな…)。
そんなこんなで、長州藩を軸にして幕末維新期をかじっていたわけですが、高杉と久坂の松下村塾の双璧をみていると、松下村塾生に目がいくわけで、そこで今度興味をもったのが日本大学の学祖である山田顕義。
で、彼の逸話を色々見ていって興味を持ったのが、大正政界の黒幕こと三浦梧楼。
山田を調べていた期間が結構短くて、すぐ三浦に軸を移してしまったのですが、どうも三浦を調べていくと、奇兵隊からの友人である鳥尾小弥太の名前が出てくる。幕末維新期というのはすごく史料が多くて、しかも人物が日記や回顧録を書いていたりして、そこに関係者の名前が出てくることがたくさんあるのです。三浦のことを知りたかった私は、「鳥尾も三浦の面白い話をどこかに書いてないかなー」と思い、彼の史料も必然的に見始めます。
鳥尾の入口
そして気づいたら、加古川の光念寺にいました。
※当時お世話になっていた方に連れて行っていただきました。ありがたや…。
まぁそれは飛躍しすぎなんですが、気づいたら好きになっていた状態。もうとにかく出てくる話が面白い面白い!完全にハマってしまった瞬間は、けっこうまた中2病なのですが、真辺将之氏の論文内にでていた回顧。
父の死去に伴い、家の貧しさはさらに度を加え、真冬でも布団一枚を二つ折りにして寝なくてはならない程であった。翌万延元年(1860)四月、鳥尾は藩主毛利敬親に従い帰国、家督と継ぎ中村百太郎敬孝と名乗るようになったが、家計の貧しさのために一家離散の憂き目に遭い、鳥尾は叔父の伊藤滝蔵のもとに寄食することとなった。このような苦境に「斯く人の愁苦多きを見れば、神仏有りて之を守護するに非ずと。又自身の心に、罪垢ありとも覚えねば、因果ありて貧賤に生まれたるにも非ず。生死禍福も偶然なり。天地名月の運為も偶然なりと思惟し。唯疑ひの存するは、天の天外は、何の際限ありて限れるかと思ふ計りなり。されば自ら身命を軽視すること土芥の如く、以為らく生れて貧賤なるは、木石の病ひなくして寿を保つに及ばずと、大邪見を起し。其より口に忠義と唱へ、武芸を学び、立身出世を起す」ことを目指したと、彼はのちに回顧している。つまりこのような貧しさは、のちに彼が奇兵隊へ参加する動機となったのであった。またこのような苦境は、のちに鳥尾が貧民に同情的な意見を持つようになる前提となったと思われる。
真辺将之「鳥尾小弥太における政府批判の形成―『王法論』執筆まで―」『日本歴史657号』(2003) p65-66
この一文に心臓をわしづかみにされました。あの時代の等身大の少年の、赤裸々な胸の内なんじゃないだろうか。
日本人は貴種流離譚や、秀吉のような農民が関白、天下人に上り詰めるような出世物語を好みます。幕末維新期でいえば、坂本竜馬や高杉晋作のような、志半ば(という表現は適切ではないですが)で早世してしまったような人々が人気です。
これまで、鳥尾に関する伝記・評伝の類いは皆無であるし、研究の数も極めて少ないことを考えれば、それも無理もないことだろう。こうした鳥尾に対する関心の低さは、鳥尾が軍人としても政治家としても決して成功したとはいえない人物であるということが最大の理由であると思われる。
真辺将之「鳥尾小弥太における政府批判の形成―『王法論』執筆まで―」『日本歴史657号』(2003) p64
鳥尾の知名度の低さについては、真辺氏のこの言につきると思います。
もし彼がなにかしらの道で成功を収めたり、あるいは良いことではないですが、なにか教科書に取り上げられるような大きな事件に関わるキーパーソンであったなら、幼少期~青年期の彼のエピソードなどはこの上ない素材になっていた気がします。
かくいう私個人も、鳥尾の政治的活動や思想を追いかけて、そこからなにかを紐解こうとしているわけではないのですが、高杉や久坂など、どこかあの時代特有の熱のなかに生きて死んでいった人たちよりも、鳥尾というのは身近に感じる存在でやはり惹かれてしまいます。
貧賤の身に生まれた者(自分)は生きるに値しない存在である、と、成り上がるために奇兵隊に身を投じていった彼が、たくさんの歴史の波にもまれつつも、晩年は孫の節句を祝ったり、孫から菓子が届いたとか日記に書き付けているのを見ると、彼が最終的にたどり着いた幸せというか、なんというかを感じてたまらない…。
奇兵隊時代も、怪我をしてはお母さんのことを思い出したりしていたり、洋行中にイチゴミルクしてみたり(Wikiにいつの間にか載ってて笑った)、またまた洋行中に同僚に怪談話して震え上がらせてみたり、とにかく「人間だなぁ…」という感じ。
そんなこんなで、結論としてはやっぱり鳥尾の魅力というか、そういうものをびしっと書くことはできなさそうです。でもだから調べていて楽しいのかも。
いつか漠然としたこの気持ちを、明確に言葉にして誰かに伝えられるようになりたいものです。
ちなみに心臓わしづかみにされた真辺氏の論文に引用されていた一文のソースは『明治文化全集第十一巻』(昭和3年)所収の「明道協会要領解説」(元本は明治17年発行)。すでにだいぶ悟ってます…。しかし10、20日間も眠らずに読書して恍惚としてたって鳥尾…違うものが見えていそうだ…。
コメント
初めまして。
鳥尾さんについてお聞きしたいことがございますが、会ってお話をお聞きすることは可能でしょうか。
私は東京在住、56歳、男性です。
宜しくお願い申し上げます。
サイの角さま
はじめまして。管理人の友です。閲覧ありがとうございます!
本業もありまして、直接お会いすることは控えて居ります。申し訳ありません。
むしろ会ってお話するほど知識が無いのが現状で、お恥ずかしい限りです…^^;
サイの角さんも鳥尾に興味をお持ちですか??
まだまだ学ぶべきことが多々ある未熟者ですが、私で分かることであればお応えしたいなと思いますので、なにかありましたらまた気軽に書きこんでくださいませ。
コメントありがとうございました―!