逸話鳥尾小弥太

【逸話】鳥尾小弥太の、ちょっといい話

益田孝は、三井物産の初代社長であり、日本経済新聞の前身である中外物価新報を創設し、「千利休以来の大茶人」とも称された、明治および日本の経済創世期の大物です。
この方が鳥尾小弥太に関して残してくれた、ちょっといい話をご紹介。

 益田孝(ますだ たかし)
嘉永元(1848)年10月17日(新暦11月12日)~ 昭和13(1938)年12月28日)
鳥尾より一つ年下になりますね。

『自序益田孝翁伝』(長井実・編)という、1988年に中央公論社から出版された本から一部引用。

禅を学ぶ
養生の第一は食物。それから、人間には楽観ということが必要である。自ら求めて悲観しないこと、物ごとを苦にせざること、何ごとにあれ諦めて潔く断念すること。どんな難儀なことが起っても尽くせるだけ尽くして、なに心配することはない、こうしておけばそのうちにはどうにかなるだろうと考える。病気になっても、こんなに熱が高くては大変だなぞと心配しないで、熱が上がる時もあれば下がる時もあるのだから、そのうちには下がるだろうと考える。こういうふうにすべて楽観。これが大切な養生である。
私もこれまでずいぶん苦しいことに遭遇して、世間が寝静まってから床の上で坐禅を組んだこともある。私は鳥尾中将(子爵、小弥太、得庵)に禅の手ほどきをしてもらった。その後大内青巒の講釈を聞いたことがある。
鳥尾中将とは西南戦争の時から知合いになって、爾来至って懇意にした。なかなか面白い人で、褞袍なぞを着てよく藤田伝三郎の所へ遊びに来た。ある時藤田の家へ行くと、二人で碁を打っている。そばで見ていると、どうも鳥尾さんの方が藤田より少し弱いようである。その碁が済んだから、私と鳥尾さんとやることになったが、ただ打つだけでは興味が少ないから何か賭けようじゃないかと言う。一体藤田は弱かったのに勝っているから、鳥尾さんも弱いと見て、よろしい賭けましょうと言うて、だんだん打って行くと、今度はどうして、なかなか弱いどころではない、私は散々に負けておごらされた。よく聞くと、前の碁は誰か弱い人が打って負けていたのを、鳥尾さんが盛り返すつもりで引受けて打っておったのだそうだ。一杯食わされた。
山澄力蔵が、一人しかない娘を亡くして非常に愁傷し、人にさえ会えば、亡くなった娘のことを言うては泣く。すると鳥尾さんが、それはよいことだ、うんと泣け、君の泣くその涙が死んだ娘にとっては何よりの功徳になるのだから、泣けるだけ泣けと言うた。実にうまいことを言う人だ。
鳥尾という人は非常な漢学者で何でも漢文で書いたが、実にえらいものであった。禅学でもなかなかえらかった。しかし死ぬ時には、床に観音の掛けて、その前で鐘を叩きながら死んで行かれたということである。
p150~p151

大内青巒 - Wikipedia
島地黙雷らとともに晩年活動したというお坊さん。

藤田伝三郎 – Wikipedia
明治の大財閥、藤田財閥の創設者。奇兵隊出身で、鳥尾以外にも山田顕義とか長州系の軍人周りに頻繁に出没しています。(藤田伝三郎の雄渾なる生涯
鳥尾の逸話にもしょっちゅう出てくる。

山澄力蔵:道具商で、山澄屋という屋号を使っていたそうです。
MOA美術館所蔵の「色絵金銀菱文重茶碗」(重要文化財)は、この山澄経由で益田孝が所蔵したそうで、人物が分かるとこういう来歴もまた面白く感じますね。
MOA美術館 - 公式HP

鳥尾の禅をはじめとする宗教というか、考え方というのは、文献や思想家、宗教家達に教えを乞うたものはもちろんですが、それらも咀嚼したうえで、自分の実体験から出ていると思うのです。
なので、断片的にみていると現代人の感覚からしたら「こいつ頭がぶっとんだことを言っている…」と思う箇所もあるのですが、すべてを通して見ると、とても地に足ついていることを言っているな、と感じます。
このあたりが、経済界の人たちと鳥尾が交友があった由縁じゃないかなぁと個人的に思ってます。(交友といっていいか微妙ですが、岩崎弥之助とのエピソードも面白くて好きです

岩崎弥之助鳥尾得庵の根気に屈す」-近代デジタルライブラリー)

根拠もないので個人的な推量ですが、鳥尾と三浦が二人とも禅の道に入って行ったのは、二人とも奇兵隊(幹部でなく、実働部隊)出身であったことと、家族との関係が大きいのではないか、と思っているのです。
三浦なんかも鳥尾のように著作を残したりはしていませんが、太田・絵堂をはじめ戦死者の供養塔の建立に多く関わったり、息子のために熱心に祈祷するといった行動は、彼らが多感な時期に経験した幕末維新期の戦いのなかで感じた悲しみや葛藤ゆえではないのかな、と。
そこに「立身出世」の明るいものだけでなく、罪悪感のような負い目を時たま感じるのです。

山澄さんの話だって、時代が時代ですし、認知されている鳥尾の性格的に、「そんないつまでもくよくよしてんじゃねー!」って一括してもおかしくないんじゃないか?って思うのですが、こう諭すあたり、鳥尾の人間味が感じられる、個人的にとてもいいエピソードだと思います。

そういえば、今まで幕末維新関係の本を見ていて、碁を打っている話はよく見かけるのですが、将棋をしている話はみたことないなぁ…とふと思いました。私のみている範囲だけですが。
脱線しますが、タイトルを書いていて「人●松本のすべらない話」が頭をよぎったのですが、パッと思い浮かんだ幕末明治で私のなかのMVSは、平田東助の、木戸孝允がサプライズ自宅訪問したときに布団も全部庭に放り出した、というやつです。

いやしかし、wikipediaは維新三傑で木戸さんだけ群を抜いて推敲されてると思うのですが…(脚注のしっかりさ加減とか)愛が詰まってますね。

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