逸話鳥尾小弥太

鳥尾小弥太と陸奥宗光1

記事を整理していたら、鳥尾の逸話を紹介していた記事がいくつか消えていました。
というわけで、2011年5月11日にアップしていた、鳥尾と陸奥の舌戦逸話を上げなおします。
この逸話ものすごく好きで陸奥鳥尾コンビにはまったきっかけでもあるんですが、ネタ元をいつも忘れるのでメモ。近デジで見れます。

本文

陸奥宗光鳥尾小弥太と舌戦
陸奥宗光初め陽之輔と称す、明治二年、紀州藩天下に率先して兵制を改革せんとし、鳥尾小弥太を聘す、小弥太来りて陸奥氏に寓す、宗光小弥太と年歯相若き、頗る親み善し、小弥太朝寝を好む、宗光枕を蹴て之を覚醒す、小弥太怒る、宗光曰く、手を以つてすると足を以つてすといづれか異なるやと、忽ち議論を試み、互に辯法を練る、其の後ち宗光は元老院幹事と為り、小弥太は陸軍少将と為る、其の相遇ふや、毫も舊時と異なることなく、常に汝爾相罵る、一夜會飲し、当世の人物を批評す、西郷を罵り、大久保を嘲り、木戸を難じ、大抵有ると有らゆる人物を罵り尽くす、宗光の曰く、然らば則ち爾と吾れといづれが人傑なるや、小弥太曰く、乃公に若くものなし、宗光の曰く、汝ぢ野狐禅、何ぞ余に及ばん、小弥太曰く俗吏到底禅味を解せず、須らく甲を脱し旗を捲き、早く軍門に降れ、宗光の曰く、然らば余の為す所、汝果して能く之を為し得るか、汝詩を賦する余の如く速にして且つ巧なるや、文章を作る余の如く千言立ちどころに成るや、囲碁はいかに、酒量はいかに、腕力はいかにと、畳み掛けて之を挑む、小弥太傲然として曰く、そんな小藝は乃公の知る所にあらず。

陸奥宗光鳥尾小弥太と舌戦す - 国立国会図書館デジタルコレクション
近世偉人百話(中川克一編/至誠堂/1912年)

意訳

陸奥宗光は初め陽之輔といった。明治二(1869)年、紀州藩(今の和歌山県等)は天下に先駆けて兵制を改革しようとし、鳥尾小弥太を紀州へ招いた。
鳥尾は紀州にいる間、陸奥の家に住んでおり、互いに若く、仲が良かった。
鳥尾は朝は遅くまで寝ており、陸奥は鳥尾の枕を蹴って起こした。鳥尾は怒ったが、陸奥は「手を使ってやるのと、足を使って起こすのと、なにが違うんだ」と言い、たちまち議論となり、お互いに討論の技術を磨いたのだった。
その後、陸奥は元老院幹事となり、鳥尾は陸軍少将となったが、会えばいつも昔と変わることなく、互いに罵りあっていた。

ある日の夜、2人は酒を呑みながら当時の人物を批評した。
西郷隆盛を罵り、大久保利通を嘲り、木戸孝允を非難し、大抵の人々について罵りつくした。そこで陸奥は、「ではお前と俺と、どっちが優れているか」というと、鳥尾は「俺だろう」と答えた。

陸奥「お前のような野狐禅が俺より優れているわけないだろう」
鳥尾「お前のようなつまらん輩には禅味が理解できん。さっさと兜を脱いで旗を巻き、軍門に降れ」
陸奥「ならば俺のように、お前は能をよくできるのか?お前は詩を、俺のようにはやく且つ巧みにつくれるか?文章を作るときは俺のように千言たちどころにできるのか?囲碁はどうだ?酒は俺より呑めるか?腕力は?」

と、陸奥が畳み掛けてくると、鳥尾は傲然として、「そんな小芸、俺の知ったことか」と言った。

 

雑感

「大抵有ると有らゆる人物を罵り尽くす」で当時爆笑した思い出。
以下の書籍に、この逸話を意訳している内容が載っています。

命を棄てて ― 原田指月 国立国会図書館デジタルコレクション

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