著作鳥尾小弥太

【鳥尾小弥太】兒戀草002

概要

本文

手にて携へ足にて行く。何の為めに携へ。何の為に行くとならば。則ち人の事をとり運び。人の道をふみ行ふのみ。抑も身を修め。家を齊(とゝの)へ。各(おの/\)其職分を盡すことは。上天子より。下は庶人に至るまで。かはることなし。就中(なかんずく)人の婦たるものは。殊に齊家(せいか)を以て天職となすなり。夫は一家の大事外事を齊へ。婦は一家の小事内事をとゝのふ。内外大小相和し相和合して。天地の徳正しく。其化育(くわいく)子孫に及ぶなり。
祖先の祭を嚴にして。報本反始の心を失はず。父母に孝養して。其大恩に酬ゆるは。即ち家を立て世を継ぐ所以なり。されば子孫を思ふ心を移して祖先を思ひ。子孫を愛するの心を移して父母を敬すべし。此心一貫して血脈不断なるを。仁心と名つく。故に曰く。仁は人也と。人の婦たるものは。其夫を助けて、此道を守り。其夫にかはりて此事を行ふべし。
古今聖賢の教に。女子は徳を濫り道に遠ざかるを以て。殊に戒を加へたり。これ他の故あるにあらず。女性は総じて智慧淺く。貪欲深き為めなり。其心卑し。故に虚飾を好む。甚しきは産を破り生を傷ひて。名聞を事とす。飲食衣服は。上品に見倣ひて。常に不足を感じ。心術行儀は。下品に比して。自ら足れりとす。思慮おぼろげにして。虚言多く。實情なし。徒然草に曰く。
女の性は皆ひがめり。人我の相深く。貪欲甚しく。物の理を知らず。たゞまよひの方に心めはやくうつり。詞もたくみに。くるしからぬ事をも。問ふときはいはず。用意あるかと見れば。又あさましきことまで、とはずがたりに言ひ出す。深くたばかりかざれる事は。男の智慧にもまさりたるかと思へば。その事あとよりあらはるゝを知らず。すなへならずしてつたなきもなは女なり。
とあり。世の賢女はしらず。通途の女性は。古今を通じてかゝるあらましなり。愼しむべく戒しむべし。

 

意訳

人は手で携えて、足で行く。
何のために携えて、何のために行くのかというと、すなわち事を取り運んで、人の道を踏み外さないよう行くのである。そもそも身を修め、家を整えて、各自がその職分を尽くすことは、上は天皇より、下は庶民に至るまで変わることはない。とりわけ人の妻たる者は、ことさら家を整え治めることをもって天職とするのである。夫は一家に関わる大きなこと、外のことを治め、妻は一家に関わる小さなことや、家の中のことを修める。家の内外、大小のことが調和して、天地の徳は正しく積まれ、その徳は子孫に及ぶのである。
祖先の霊を正しく祀り、その恩に報いる心を失わず、父母に孝行してその大恩に報いることが、すなわちその家を継いで残していく理由である。それゆえ、子や孫を思うように祖先を想い、子や孫を愛するように父母を敬うべきだ。
こうした心を持ち続け、血を絶やさず家を繋いでいくことを「仁心」と名付ける。ゆえに、仁とは人そのものであるというのだ。妻は夫を助け、この仁心の道を守り、夫に代わってこのことを行っていく必要がある。

今も昔も優れた人の教えには、女性は徳を積むことを疎かにし、その道に遠いことをもって、特に戒めをされたものである。こうしたことには他の理由があるのではなく、女性は総じて智慧が浅く、欲が深いことが原因であると思われる。そういった心を持つ人は卑しく、中身は置き去りにして外側だけを飾ることを好む傾向がある。甚だしいのは、財を失い、日ごろの行いが世間に知られてしまうことだ。上品に見繕っていても常に不足を感じ、振る舞いは下品なもので、それでいて自分でそれで良いと思っている。思慮はおぼろげで虚言が多く、真心はない。
徒然草には、

女の性はみな僻んでいる 人我の相深く、貪欲甚しく、物の理を知らず、ただ迷いの方に心も早く移り、言葉も巧みに、なんでもない事さえ問う時は言わず、用心しているかと見ればまたあさましい事まで問わず語りに言い出す 深く謀り、飾りたてる事は男の知恵にも勝るかと思えば、その事が後でばれることを知らず 素直ならずして拙いものは女である。

と書いてある。
世の中の賢女はわからないが、普通の女性たちは今も昔もこのような様子である。慎み、戒めるべきである。

 

解説・補足

児恋草は、鳥尾小弥太が娘の廣子にあてて綴ったものである。廣子は公家の名家、日野西家へ嫁いだが、児恋草では全体を通してそこでの心構えを説いている。
当時は華族の女子が外で仕事を持つことも稀であったため、現代でいう専業主婦のような立場となる娘に対し、驕ることなく嫁いだ家の祖先、父母へ孝行することを第一とするように諭している。
小弥太自身、父が故郷萩ではなく、兵庫県加古川の土地で病没したことに対し、所縁のない土地であるがゆえに父の墓へ詣でる者がいなくなることを憂い、同じ寺へ自らの遺骨の分骨を行っている。小弥太を供養する人々が途絶えぬうちは、父への供養も途絶えなくなることを願い、もって父への孝行としたのである。

徒然草の引用部は第107段。現代語訳は下記のサイト様を参照させていただきました。

日本古典文学摘集

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