著作鳥尾小弥太

【鳥尾小弥太】兒戀草004

概要

本文

慳貪の念を去り。無心にして心を生ずれば。情想正しく。魂神安く平かなり。抑も人は。天地の間に生れて。天を頂き。地に往す。日月出没し。晝夜交代し。四時推移し。生死相継ぎ。老幼相倚る。尊卑位を定め。男女其徳を徳とす。譬へば鏡の蓋を開くが如く。無心にして我心を開くときは。敢て思慮分別を逞しくするに及ばず。人間の果報は。一念の上に分明なり。之を想と名つく。此想の上に心を起す。これを情と名つく。喜怒哀楽等なり。聖人賢人佛菩薩も。此想に別なく。此情にかはりなし。西行の歌に。
捨はてゝ身はなきものとおもへども。雪の降る日は寒くこそあれ。

心なき身にも哀れはしられけり。鴫立澤の秋の夕暮。
契冲の歌に。
燒と見て火宅の門は出しかど。烟絶えては住む方もなし但凡夫小人は。我執深く。貪愛の一念熾なるが為めに。此心自然の情想を取り失ひ。恰も白晝に眼を見張りて夢みるが如く。富貴者はおのづから富貴の想をなして。驕慢の心を生じ。貧賤者は自ら貧賤の想をなして。卑劣の心を生ず。才藝あるもの文學あるもの。各/\自心に執し。人にたくらべ。勝劣の一念をとめて想となす。此等悉く人間の果報を失ひ。得失人我の境に別々の夢想をなすと雖も。其本を推し。其源を窮むれば。所謂貪愛の心之が主となるなり。若し夫れ桃源の片ほとり。七家村裏に生をうけて。人と競ひ人と争ひ人にまさる要なきときは。富貴卑賎も想となり来らず。才學機智も用ふるに所なけん。而して人間の天然は。茲に完かるべし。されば通常凡夫の有様は。相交りて相競ひ。相奪ひて自ら利し。群居して相傷ふものに似たり。此理を能く\/辨へて。深く天地神祇の恩徳を感じ。聖賢佛陀の教を守り。人我貪愛の心を調伏する時は。情想正しく。魂神安く平かにして。一家の中常に桃源の春に異ならず。

 

意訳

貪欲で自分の利益だけを考えるようなことは止め、無心になって生きておれば、気持ちは正しく、心安らかになる。そもそも人は、天地の間に生まれて、天をいただき、地に生きる。太陽と月が昇っては没し、昼と夜がきて、1日が過ぎ、四季がめぐり、生まれては死ぬということが相次いで、老いと幼さは近づく。尊いこと、卑しいことはなにかということを定め、男も女も、男であること、女であるということを受け入れる。
たとえば、鏡の蓋を開いてみるように、無心になって自分の心を開くときは、思慮分別をしよう、と思うことはまったく必要ないのだ。
人の幸せは、はっきりとわかっている。これを「想」と名付ける。
この「想」のうえに、心を起こす。これを「情」と名付ける。心とは、喜怒哀楽などの感情である。
聖人、賢人、仏や菩薩も、この「想」には違いが無く、この「情」を感じることに変わりはない。
西行(*1)の歌に、
世を捨てて身は無きものとおもへども雪の降る日は寒くこそあれ
というものがあり、また、契冲(*2)の歌には
焼とみて火宅の門は出しかど煙絶えては住む方もなし
というものがある。
但し普通の人々は、自分が感じる気持ちをすべてと思い、貪欲に己を愛するがゆえに、本来の「情」や「想」を失ってしまい、あたかも白昼に目をあけて夢を見るが如く、金持ちはおのずから、自らの本当の幸せは富んで名声を得ることだと思って驕りたかぶる気持ちが生まれてしまい、貧しいものは、自分はどうあっても貧しい者なのだと思い込んで、自らを卑下する心を生んでしまう。才能があるもの、学問ができるもの、こういった人々も自らの心に溺れ、人と比べて、どちらが優れているか、あるいは劣っているかなどを幸せの基準としてしまう。
これらはことごとく、人の本来の幸せを失っていて、人それぞれに様々なことを考えるけれども、その根本を考えると、いわゆる自己愛がこういったものの主たるものである。
もし、桃源郷の片すみに、先祖代々生をうけて、人と競い、人と争い、人より優れる必要がないときは、「金持ちだ」「貧乏だ」ということは幸せの基準にはなりえず、才能や機知に富んでも活躍させる場所がないだろう。これによって、人の本来の姿は尽きるのである。
ということは普通の人々のありさまは、交流しては競い合い、富を奪いあって、みなで暮らしながら互いに傷つけあうことに似ている。
このことをよくよくわきまえて、深く天の神、地の神の恩と徳を感じ、聖人や賢者、仏の教えを守って、誤った心を調整できるようになったときは、「情」、「想」は正しく、心は穏やかで落ち着き、一家のなかは常に桃源郷の春のようであろう。

*1:西行(1118-1190) 平安時代後期の歌人。鳥羽上皇の北面の武士であったが出家し、各地を放浪して歌を詠んだ。
*2:契沖(1640年-1701年)江戸時代真言宗の僧侶。水戸黄門こと徳川光圀から依頼を受け、万葉集の注訳書である「万葉代匠記」を記すなど、国学の発展に寄与した。

 

解説・補足

明治に入り、やがて陸軍の一線から身を引いたあと、小弥太は仏教へ深く帰依しており、児恋草を初めとした著作には仏教的、あるいは明治日本が礎としようとした、天皇をいただく神道的な概念が広く散りばめられている。

前節までは、富貴に溺れず、華族という地位に驕らないことを戒めるものであったが、本節では、そもそも人の幸せはなにであろうか、ということを説いている。
なじみのない概念であるため、意訳では分かりやすいように原文をかなり変えて訳した部分があるが、原文の以下の2つの用語は辞書から意味を引いておく。

人我(じんが):人間の中にあり、その人間を根拠づけている究極的本質
我執(がしゅう):自己の内部に不変の実体、本質が存在するとする、非仏教的な考え。
(参考:Weblio辞書

小弥太は、人の本来の幸せ、というよりも本来の姿、状態そのものを「想」とし、そのうえで起こる様々な感情の動きを「情」と名付けている。
ひとが自らを「自分である」、と認識する、この認識そのものが「人我」であり、「自分の肉体」を「自分である」と感じている心が「我執」といえるが、これは小弥太のいう「想」でも「情」でもない。

「我執」は、自らの肉体が置かれている状況(富んでいる、あるいは貧しい、など)を、自分自身が生まれながらに定められた状態だと「思ってしまう」、これによって、「富んでいる者が幸せ」、「貧しいことは恥ずかしいことだ」というような価値観ができてしまうが、それは人の本来の幸せではない、ということを伝えようとしているのであろう。

また、清貧を恥じる、というのは、前節でも取り上げられていたが、そういったすべての想い、悩みも、あえて悪いとは言っていないところが重要であろう。
取り上げられている西行の歌は、武士の身分を捨て、出家という俗世を離れる身となったにも関わらず、雪の降る日は寒く感じる、という、「どうあがいても人であることに変わりはない」という西行の素直な気持ちが吐露されている。
契沖も同じで、火宅とは俗世の意味合いのため、俗世を捨て出家してみたものの、煙の出でる家(家事、人が生活する意味合い)が無ければ自分も生きていけない、ということを詠んでいる。
聖人や賢人、はては釈迦までも、喜びや悲しみ、怒りは感じることはあった。彼らも同じ「人」である。だからこそ、「凡夫」である我々も、心を落ち着けて、自らの「我執」をコントロールし、本来の姿を見失ってはいけない、という意味合いではなかろうか。

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