上越新潟ネタ

【旅行記】越後一宮 居多神社へ行ってきました~2013年5月~

直江津にある越後一宮、居多神社へ行ってきました!

居多神社(こたじんじゃ)は、新潟県上越市直江津にある神社で、越後国府がこの地にあったとされることから、越後一宮といわれます。
居多神社 – Wikipedia

 

越後一宮を称する神社はこの他に弥彦の弥彦神社、糸魚川の天津神社があります。弥彦神社は先日参拝してきましたが(過去記事:【旅行記】越後一之宮 弥彦神社に行ってきました~2013年5月~)、天津神社は初めて知りました。

 

個人的には、居多神社と弥彦神社の一宮としての性格は、少し違っているのではないかと思っています。
居多神社が「けた神社」と古来読ませていたことから同系統とされる気多神社も、越中国国府の近辺に建てられたと考えられており、そういった意味での、権力に裏打ちされた「一宮」なのだろうなと。土地に根付いた神様というよりは、勧進されてきた神様だと思います。
対して弥彦神社は、弥彦山を御神体とするように、アニミズム的な、日本古来の信仰の形かと。

加えて、平城京?(ちょっと資料が手元にないのであやふやですが…)からのひとつの終着点としての場所にあるのが三輪山を御神体とする三輪神社。
弥彦神社と三輪神社は、個人的に性格的にはとてもよく似ていると思うのです。弥彦神社は、罪人が流される最果ての地、配流の国とされた、越後北陸道の終着点にあるのですね。弥彦より先、そこは当時の王権の手が届かない、「蝦夷」の土地でした。
土地に根付き、畏敬の念を持たれた、聖地としての「一宮」としては、弥彦神社なのだろうなぁ、と思っています。

 
狛犬さん。


榊が浸されている手水舎。


森から飛び出てきているような、この竜神様はなんだかとっても素敵です。


拝殿は再建されたばかりなのでピカピカです。
インターネットで居多神社を検索すると、仮社殿のときの写真をとられている方が多く、比較してみると面白いですね。

 


親鸞様と伝承の片葉の蘆。
巨匠・宮本常一の『日本文化の形成』の感想には片葉の蘆のネタを書きました。(過去記事:【読書記録】 2011.10.23

ここの宮司を務められている花ケ前家の花ケ前盛明先生は、上杉謙信をはじめとした、中世越後の歴史研究者でもあり、著書も出されています。

花ケ前盛明『新編 上杉謙信のすべて』(新人物往来社) - 紀伊国屋書店


私は大学合格が決まった後、なぜが突然思い立った母(歴史は全く好きなタイプではない)にこの神社に連れて行かれ、母の天性の強引さで偶然その日ご在宅だった花ケ前先生と対面したことがあるのですが、なんのアポもなく突然やってきた我々に対し、「せっかく来たのだから…」と先生はサイン入りの著書を2冊もくださいました。(母のフォローをすると、高校時代の母の部活動の顧問が花ケ前先生でした。メジャーを持たされて山城を測りまくっていたそうです)
もう居多神社に足を向けて眠れません…ほんとに、話を聞く際はアポはとりましょう…。

新潟県内の、特に山城の研究に関しては先生の著書は避けて通れないので、春日山城を初め、県内の山城を訪れる方は、関連の著書を一読されることをおすすめします。

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