博物館・美術館

【博物館】東京国立博物館総合文化展(2016年6月)とミュージアムシアター(洛中洛外図舟木本)

概要

6月中旬に、東京国立博物館に「特別展 黄金のアフガニスタン」を観に行きました。それと併せて、総合文化展や東洋館のミュージアムシアターも行ったので備忘録です。

 

ミュージアムシアター「洛中洛外図屏風 舟木本」

東京国立博物館の敷地に入って右手にある東洋館。
この地下1階に、凸版印刷と東京国立博物館が提供する「ミュージアムシアター」があります。

 

この前身として、2007年より「TNM & TOPPAN ミュージアムシアター」が開館されていました。この来場者10万人超のアンケート結果で、92%が満足したということだったので、2013年1月1日にめでたく現在の場所に正式オープンすることになったそうです。
(ちなみに今は分かりませんが、前身のときはSONYのプロジェクター等が採用されていたようです)
300インチの大型スクリーンと超高精細4K、そしてリアルタイムの語り部システムを導入したこちらは、大体1日4~5回、1回おとな1人500円で利用することができ、東洋館地下1階のミュージアムシアター入口にて、当日の希望の回に空席があれば、いつでも申し込むことが出来ます。

私はこの日昼過ぎくらいに来館し、16時の回のチケット購入(現金前払いです)しました。
購入するとチケットがもらえますので、それをもって予約した回の10分前くらいに入口に来ればOKです。会場では、クッションやブランケットの貸し出しもあります。
仕組み的にはほんとに映画館ですね。

私が行った日は、今年国宝に指定されることになった「洛中洛外図屛風 舟木本」の後期プログラム、「京散策寺社巡りと二条城編」でした。

リーフレット。

ちょっと小さくて分かりづらいですが、会場では屏風の高解像度画像を、ナビゲーターの方が任天堂64のコントローラーみたいなやつで操作してくれます。

今回は人を案内するのがメインで、総合文化展を見終わったあとに行ったからか…私は最初の15分までしか記憶がなく…(笑)
でもどうやら筆者である岩佐又兵衛のネタは出てこなかったようです。
前回このシアターに来たのがもう2年前でして、そのときの上映は「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」。今回と同じく舟木本を取り扱ったもので、当時東博では「京都」展が開催されており、舟木本も当然出ていました。
京都展の翌年、2014年の大河ドラマ「黒田官兵衛」で、田中哲司さんが演じた「荒木村重」。この息子が岩佐又兵衛になります。

 

当時のミュージアムシアターでは、この岩佐又兵衛の生誕から絵師になる経緯、作風にみられる彼の生い立ちの影などが解説されまして、私は当時又兵衛にまったく無知だったこともあり、「おおおお面白い…!!!」と感動したものでした。
今回のシアターでは、ざっくりその辺はカットされていましたが、「この屏風がいま国宝に指定されることになったのは、この屏風の内容もさることながら、描かれた背景が重要で…」と説明していたので、なんか国宝指定の裏にはじわりと大河効果あるんじゃないかと思いました。

ちなみに、毎回あるのか分かりませんが、今回は2013年の「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」のときには無かった、質問タイム&観覧者が自由に映像を動かしていいタイムがあって、ナビゲーターさんがちゃんと活用されるなーと思いました。前回は正直、下手に映像とめて人がいちいち解説するのがなんか興ざめだなぁ…とすら感じてしまっていたので(すいません…)。すごいなぁ、日々進化してる…!!
観覧者は、ナビゲーターさんがもってるコントローラじゃなくてタブレットを操作して映像を動かしていました。
子どもがいる時間帯であればすごく盛り上がりそうな気がしました。

いまは熊本地震の復興支援で、熊本城が特別上映されているみたいです!
今年からはプレミアムナイトと称して夜間上映もあるようで、ターゲットは社会人のようなのですが、いやはやいくつになっても学べる環境が整いつつありますね。
第1回目は7月1日(金)で、東京大学名誉教授の黒田日出男先生がゲストで来られるそうです。
私はこの先生の東郷荘の下地中分絵図の論文しかちゃんと読んだことないのですが、学生時代はゼミでもよくお名前が出る先生だったので懐かしくなりましたが、リーフレットもらって今回初めてお顔を拝見しました。
ちょっと時間的に厳しいので行けなさそうです…残念。

 

総合文化展

ミュージアムシアターが始まるまで、東洋館と総合文化展をぶらぶらしてきました。
ここは写真撮影禁止のマークがついているもの以外はフラッシュなしであれば撮影OKなのですが、今まで写真を撮ったことが無く…。今回初めて挑戦してみました。そしたらもう便利便利…!!
物忘れが激しいので「あれなんだったかなー」ってなることが多いのですが、写真がとれると思い出せていいですね!

こちらは東洋館の朝鮮半島エリアで。
三国時代にあたる6世紀の百済、新羅、伽耶で作られた、太環式耳飾りと細環式耳飾りです。
こうした垂飾付耳飾の耳につける環を耳環部とよぶそうで、この耳環部を太く作るのが新羅の特徴だそうです。太いのと細いのが一か所に並べられていると比較できていいですね。
ちなみにすべて金…!!

こちらが新羅の太環式耳飾。
この展示の2つくらい左に重要文化財の太環式耳飾りが飾ってあったのですが、こちらの展示ケースのもののほうが私は好きでした(笑)
あとこの展示方法が面白いなぁと思って!
寝かせて置くよりも、こういう実際に使う時と同じ形でみせていただけると、本来の作品の魅力がより伝わってくる気がします。
新羅とか伽耶というと、NHKの聖徳太子を思い出してしまって、一緒に行った人と懐かしんでいました。
聖徳太子、もっくんの美しさが尋常じゃないこともさることながら、伊真役のソル・ギョングに当時ほんとに恋焦がれていました…かっこよかった…(笑)
(シルミドなどその後の出演作もしばらく観ていましたが、やはり伊真のときが一番かっこいい…)

ドラマスペシャル 聖徳太子 - NHKアーカイブス

このときのもっくん、今見ると確かに太環式耳飾みたいなやつ着けてますね!

東洋館のあとは総合文化展へ。
この時点でシアターまで1時間くらいしかなく、かなり駆け足でみたいものだけ観てきました。

 

途中で寄り道して思わずパシャっとしたのがこちら。
含珠珈琲具(がんじゅこーひーぐ)といわれる、白磁の珈琲セットです。
佐賀県武雄市に生まれ、透かし彫りで文様を表す「蛍手」を確立させた樋口治実(1851-1930)の作によるこちらは、明治25(1892)年に開催されたシカゴ・コロンブス世界博覧会の出品物。

「蛍手」ってなんぞ?と思ってよくよく見てみると、カップなどにポツポツと浮かび上がる模様があり…。

これをカップの反対側からみると、全く同じ位置に全く同じ文様があることがわかります。
す、透けてる…!!!!これが蛍手か…!!と感動して、思わず帰ってから「蛍手 食器」で検索しました(笑)
これから暑くなるので、涼しげでよさそうですね!

あとは鎧コーナーにあったこれ。

月に代わってお仕置きよ 熊毛植二枚胴具足。
耳(どうみても耳)が可愛すぎたり、月がどうしてもセーラームーングッズの月にしか見えなかったりで、熊というよりウサギだろ!と、可愛すぎました。

 

特別公開 新発見!天正遣欧少年使節団「伊東マンショの肖像」

2016年は日伊国交樹立150周年だそうで、それを記念して両国交流の最初の架け橋であった天正遣欧少年使節のひとり、伊東マンショの、2014年にミラノで発見された肖像画が2016年5月17日~2016年7月10日まで本館7階で公開されています。
これ総合文化展のなかにあって、かつ作品に撮影禁止マークがついて無かったので写真を撮っていいのか分からず…。配布されていたリーフレットが結構画像を載せていたこともあり、コーナーの写真を撮るのはやめておきましたが、真っ赤な壁紙に黒い背景のマンショ像が架かっていたのがすごく格好よかったです。

こちらが配布されていたリーフレット。東博にしては珍しく、西洋美術館ばりに豪華。

開くとこうで、片面にマンショ像、片面に今回の公開の経緯が。

さらに開くとこんな感じ。

天正遣欧少年使節団についての説明や、マンショの家系、この肖像画の描かれた時期や、X線あてた分析、

そして同時公開されている重要文化財「天正遣欧使節記」、重要文化財「三聖人像」の原画と模写の説明が記載されています。
すごくいい!

裏面には同じく公開されている重要文化財「聖母像(親指のマリア)」が。

伊東マンショ(1569頃~1612)は、現在の宮崎県西都市にあたる日向国都於郡出身で、母が同城主であった伊東義祐の娘にあたります。遠縁にはキリシタン大名として有名な大友宗麟がおり、天正8(1850)年に洗礼を受け、マンショと名乗りました。
洗礼後、有馬のイエスズ会のセミナリヨ(イエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関)に入会したマンショは、同じセミナリヨに所属するほかの少年3人と一緒に、九州のキリシタン大名の名代として長崎からヨーロッパに向かいます。

時に天正10(1582)年2月。これが天正遣欧少年使節団です。
彼らは天正15(1587)年に豊臣秀吉が発令した伴天連追放令の影響を受け、天正18(1590)年にそろって帰国するまでの約8年間、マカオやゴアを経由して到着したリスボン以降、ルネサンスの風がふくヨーロッパで様々な人々に会っていきました。

今回展示されていた、中央に聖ラウレンティウス、右にシエナの聖カタリナ、左に聖ドミニクスまたはパドヴァの聖アントニウスが描かれた「三聖人像」は、原画と模写が同時展示でかつどっちも重要文化財ということで、「おもしろいなー」と思ったのですが、原画のほうは16~17世紀にヨーロッパで描かれたもので、模写は同時代に日本で模写されたものだそう。
原画のほうは色がだいぶ落ちてしまっていますが、細かい表情などは模写と違いを比べると面白かったです。

ちなみにこうしたキリスト教絵画の聖人が身に付けたり持っているものを「アトリビュート」というそうで、それぞれの聖人を表すモチーフになっています。
大学の頃これに関する講義を受講しましたが、厳しい先生だったけど授業はめちゃめちゃ面白かったです。
聖ラウレンティウス(225年-258年)はローマ皇帝ウァレリアヌス帝のキリスト教弾圧をうけ、熱した鉄格子の上で焼かれて殉教したと言われ、その鉄格子と思われるものが三聖人像では背景に描かれています。
学生の守護聖人でもあるので、この絵画を携えて布教に励んだ宣教師にとっては、日本人を導く上ではぴったりだったんではないでしょうか。(しかし殉教のしかたがアレだけに、肉屋の守護聖人でもあるというのはどうかと思う…)
シエナのカタリナ(1347年-1380年)は、茨の冠と本がアトリビュートに数えられており、この絵画でもみられます。また骸骨も彼女のアトリビュートひとつらしいですが、彼女ではなくラウレンティウスの足元にそれらしいものが描かれていました。
聖ドミニクス(ドミニコ)(1170年-1221年)は、白百合の杖と本を持っており、パドヴァの聖アントニウス(アントニオ)(1195年-1231年)も本ユリがアトリビュートであるといわれています。
個人的には、この絵画は聖ドミニクスを描いているのではないかな?と思いました。十字架もつけてるし。
聖ドミニコも教育方面での守護聖人として影響があるようですので、ラウレンティウスといい、この三聖人はなんとなく、「日本でキリスト教を信奉する新たな人々を導く」という宣教師たちの志をこれ以上ないくらい表しているものなんじゃないかなーと思いました。

重要文化財「聖母像(親指のマリア)」は、江戸時代にイタリア人宣教師ジョバンニ・バティスタ・シドッチ(1667-1714)が携えてきたものだそうで、黒い背景に青のマントに身を包んだマリア様が、これまた神秘的な後光を放っている、なんとも静かで引き込まれてしまう一枚になっています。
副題の通り、マントからちょこんと親指だけが見えているのがまた何とも言えません。
この黒背景で青マントというと、ラファエロ展でみた「大公の聖母」を連想してしまうのですが、この絵画が作成されたとみられる17世紀は、まさにこの黒背景が流行った時代でありまして、以前観た展覧会が結びついて個人的に面白かったです。

 

そんなこんなで盛りだくさんの総合文化展&東洋館でした!

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