明治中期以降歴史ネタ鳥尾小弥太

【史資料】統一学社関連史料(統一学社入社名簿、出金申込書)

概要

3日に1回更新するのを頑張っている期間です。
『恵の露』の途中ですが、意訳が続いているので気分転換に資料紹介を。

統一学社

統一学社は、鳥尾小弥太が明治35(1902)年に、青少年の教育を目的に起こしたものです。
京都・高台寺のあたりに一得庵という別荘をもっていた鳥尾はそこに関西支部を作ろうとしましたが、病没してしまったため叶えることができませんでした。
高台寺にはのちに建てられた碑があり、以前観に行ってきました。

統一学社は正直あんまりまだよく分かっていないので、今後また勉強していきます。
そんな統一学社に関わる史資料を数年前にいくつか購入していて、全く日の目をみる機会がないので引越によりどこに仕舞ったか分からなくなったカラーピッカーも紙尺もなくライトも不十分な状態の写真ですが、せっかくなので紹介したいと思います。(一応、台には載せましたが台も中途半端で背景色一部床です…)

統一学社名簿(第48号)

村田峰次郎(1857-1945)は、長州藩の藩政改革を行ったことで有名な村田清風さんのお孫さんです。
その方が紹介人となった名簿がこちら。状態がそこそこ悪いのでお安かった。

表紙をめくると注意書きがあります。
お金取るんですね。なんか現代のオンラインサロンみたい。

村田さんが紹介してくれたのは11人。
みなさん小石川とか麹町とかなので、ご近所さんを入会させたのかもしれません。
一括で払っている人ほとんどいなくて、三回とか五か年払いとかの人がいて私は胸が苦しいです…。
みんな…本当に学びたいのか…?坂作って貰ったし近所みんな入っているから世間の体面的に入っておかないと村八分になっちゃうとかそういうこと無かったのか…?
とか、もうちょっと鳥尾を信用しろという感じですが、金額が金額なので心配してしまう。お月謝制だったらまだアレだけどみんな二十円とか払ってますし。最後の人なんか百円も出していて大丈夫なのか…。

どうも本部のほうで取りまとめている名簿に転記が完了すると、「済」とかの印がつけられていたようです。面白い。
パッと見で知っている人はいなそうだったので、また一人一人じっくり見ていきたいなと思います。署名してくれてありがとうございます…。

 

統一学社 出金申込書

そんな当時の金価格を計算して心配ばかりしてしまうお年頃ですが、署名してくれたであろう方々が、村田さんのところへ持って行ったであろう出金申込書のひな型がコチラです。

明治30年からお金を集めていたんだねと察する。
この出金申込書、購入できた時すごいテンションが上がったのですけど、名簿と併せて見て、最近意訳した太陽での叩かれっぷりをみてから改めて見直すと、色々考えるものがあります。
お金が絡んでもうまくいく人と、うまくいかない人がいるけど、鳥尾は後者だったと思うので、なんていうか、YouTubeとかある時期に生まれていればよかったのにな…とか思ってしまう。単純に活動をするためにお金が必要だっただけだろうから、発信する場さえあれば良かったんだろうと思うので…。

 

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